リーバイ・ストラウス
Levi Strauss & Co.
種類公開企業(同族経営)
市場情報NYSE LEVI
リーバイス(英語: Levi's)は、アメリカ合衆国を拠点とするアパレルメーカーで、ジーンズのブランドである。正式名称はリーバイ・ストラウス (Levi Strauss & Co.) 。
創業から1999年まで一族が直接に経営しており[2]、現在も創業者の子孫であるハース家が株式の75.6パーセント (%) 、議決権の99%を保有する。 主要モデルの詳細はジーンズ#特に有名なモデルを参照。
来歴
1848年 アメリカ西海岸でゴールドラッシュが始まる。
1850年 カリフォルニアがアメリカ合衆国第31番目の州となる。
1853年 リーヴァイ・ストラウスがサンフランシスコのベイエリアに雑貨店・生地商「リーバイ・ストラウス社」を設立し、幌や帆の材料であったキャンバス地で主に港湾労働者向けの作業用パンツを製造して販売した。
1870年 ジェイコブ(ヤコブ)・デイヴィスがリーバイス社から仕入れたキャンバス地のパンツであるウエステッド・オーヴァーオールにリベット補強を施し、現在のジーンズの原型が完成する。
1873年5月20日 リーヴァイ・ストラウス、ジェイコブ[注釈 1]・デイヴィスと共に「金属リベットによる衣服の補強方法に関する特許」を取得する。バック・ポケットの裏側に補強布を縫い付けるためアーキュエット・ステッチが施す。
1880年代 素材をキャンバス地からデニムに変更し、現存する最古のジーンズを生産する。1882年に宣伝にXX(エクストラ・エクシード)デニムの呼称を用いる。
1886年 2頭の馬で両方から引っ張っても破れないほど頑丈であることを表現する、ツーホース・マークのレザーパッチをウエストバンドに縫い付け、後の501?の基本ディテールが確立する。
1890年 ロット・ナンバーを導入し、ウェステッド・オーヴァーオールに「501」の番号を付する。フロントにコインポケット[注釈 2]を設ける。
1902年 バックポケットを2つにして現在の5ポケットのスタイルが完成する。リーヴァイ・ストラウス死去する。
1906年 サンフランシスコ地震で本社屋と工場が倒壊し、数週間後にバレンシア工場を建設する。
1915年 素材のデニムをノースカロライナ州のコーンミルズ社から調達を始め、1922年から同社に一本化する。デトロイトにあったフォード自動車工場の生産システムを導入し、流れ作業の生産方式が衣料品の縫製工場に適用された米国における最初の例となった[3]。
1922年 初めてウェストバンドにベルトループを設ける。サスペンダーボタンは1937年まで継続する。
1930年 ボーイズ・モデルの503XXを発売する。
1935年 レディス・モデルの701を発売する。
1936年 コピー製品防止のため、レッド・タブを考案し、1939年に意匠登録する。
1937年 サスペンダーボタンを廃止し、ヒップポケットの補強は隠しリベットとする。ブラウスの呼称で、のちにジージャン
1942年 第二次世界大戦中、物資統制のためアーキュエット・ステッチをペンキ描きとして、トップボタンは代用品とする。バックストラップ(バックルバック、シンチバック)と股リベットを廃止する。コインポケットのリベットも省略する。
1943年 アーキュエット・ステッチを意匠登録する。
1947年 アーキュエット・ステッチやコインポケットのリベットを復する。アーキュエット・ステッチは、中央がクロスしたダイヤモンドポイントのデザインとする。全てのボタンを戦前のドーナツボタンから現在の形へ変える。
1952年 デニム・ジャケットを507XXへモデルチェンジする[注釈 4]。
1954年 映画『ワイルド・ワン[注釈 5]』で主演のマーロン・ブランドが501XXを着用し、ファッションジーンズの先鞭となる。
以降、数年の間にリーバイスで初めてのジッパー・フライのジーンズ、501ZXX、503ZXX、504ZXXを発売する。
1955年 この頃にウエスト・バンドのパッチの素材が縮んで劣化しやすいレザーから、オイル紙[注釈 6]へ移行する。
1960年 パンツを、従来のウェストテッド・オーバーオールから、初めて「ジーンズ」の呼称でフラッシャーに表記する。
1961年 ホワイトジーンズ[注釈 7]、ピケ、コーデュロイなどのジーンズを発売し、アメリカ東海岸で好評を得る。
1962年 デニム・ジャケットを557XXへモデルチェンジ[注釈 8]し、現行モデルの基本形となる。この頃紙パッチからEvery Garment Guaranteedの表記が消える[注釈 9]。のちにパッチに小さく"Made in U.S.A."と記す。501XXなどのヒップポケットから隠しリベットを廃止し、代わりにカンヌキ止め[注釈 10]を施す。
1963年 プリシュランク「プロセス686 防縮加工デニム」を使用したジッパーフライジーンズの551ZXXを新発売し、アメリカ東海岸で好評を得る。
1963年頃 真後ろのベルトループをオフセットからセンター取付けにする。
1964年 リーバイス・ジーンズがワシントンD.C.国立スミソニアン博物館の展示物になる。
1965年 香港にファーイースト工場および営業拠点を設立する。
1966年 リーバイス・ジーンズのテレビCMを開始する。
1967年 バックポケットの隠しリベットを完全に廃止する。ロットナンバーを、501XXは501、501ZXXは502-0117、551ZXXは505-0217、557XXは70505-0217、と変更する。パッチのロットナンバー表記からXXを廃止し、501-0117など素材と色の組み合わせを番号で表記する。ロットナンバーの数字をローマン体からサンセリフ体に変更する。過渡期は変更前後の両方で表記したダブルネームも存在する。[注釈 11]
1968年 二本針ミシンを使った効率化生産ラインで作られる「オレンジ・ラベル」として、606-0217(スリム・ジーンズ)や646-0217(ベルボトム・ジーンズ)を発売。デニム・ジャケットのパッチが順次小型になる。
1969年頃 パッチに"Care Instructions Inside Garment"と表記されるようになる。中でも501?・505・517のうち特定の収縮率を有するタイプは66モデルと呼ばれ、1980年頃まで生産。501?・502 以外の 505 などには大型織機で織られる広幅のデニムが使用されるようになり、「セルビッジ付きデニム」が順次廃止になる。ただし、サイドシームの裏側はインターロックではなく、脇割り縫い。アーキュエットステッチがオレンジ糸(合繊)に変わり、従来のイエロー糸(綿)は一旦完全に消滅。