リーチ マイケル秩父宮ラグビー場
(2021年2月27日撮影)
生年月日 (1988-10-07) 1988年10月7日(35歳)
出身地 ニュージーランド、クライストチャーチ
身長190 cm (6 ft 3 in)
体重105 kg (16 st 7 lb)
学校札幌山の手高校
大学東海大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジションフランカー、ナンバーエイト
在籍チームBL東京
シニア経歴
年チーム出場(得点)
2011-BL東京107()
更新日: 2022年5月21日
スーパーラグビー
年チーム出場(得点)
2013, 2015?2017チーフス34(35)
2018サンウルブズ8(5)
更新日: 2021年2月21日
代表
年チーム出場(得点)
2008 U20日本5(5)
2008? 日本84(110)
更新日: 2023年10月8日
リーチ マイケル(英語: Michael Leitch, 1988年10月7日 - )は、ニュージーランド、クライストチャーチ出身のラグビーユニオン選手。2013年に日本に帰化した。JAPAN RUGBY LEAGUE ONEの東芝ブレイブルーパス東京に所属。旧表記はマイケル・リーチ。
2014年から2021年まで日本代表のキャプテンを務め、ラグビーワールドカップ2015・2019での日本代表の躍進に貢献した。 15歳の時にクライストチャーチのセント・ビーズ・カレッジから留学生として来日し、札幌山の手高校に入学[1]。同校卒業後は、東海大学体育学部へ進学し東海大学体育会ラグビーフットボール部に所属。2008年に開催されたラグビージュニア世界選手権に日本代表として出場。同年11月16日、アメリカ戦で日本代表として初キャップを獲得。東海大学3年時に第46回全国大学ラグビーフットボール選手権大会[2]で準優勝。大学4年の大学選手権でもベスト4をそれぞれ経験。東海大学卒業後、チームメイトの三上正貴と共に東芝ブレイブルーパスに加入。同年開催のワールドカップの日本代表に選出され、予選プール全4試合、フランカーとして出場。 2013年、スーパーラグビーの強豪チーフスに期限付き移籍すると発表したが[3]、同年2月に腕を骨折していることが判明[4]したため、後にチーフスとの契約を解除された。加えて、同年6月1日に行われたフィジー戦で足首を脱臼骨折[5]した。同年7月25日に法務省から帰化の認可が下りた[6]ことから、今後は「日本人プレーヤー」として活動することが可能になった。それに伴い登録表記をそれまでの「マイケル・リーチ」から現在の「リーチ マイケル」に変更。またこの年東芝で主将を務める。 2014年4月、エディー・ジョーンズヘッドコーチから日本代表キャプテンに指名された。アンドリュー・マコーミックに続き2人目のNZ出身キャプテンに就任。 2015年、チーフスに再加入[7]。また同年開催のワールドカップの代表に主将として選出された[8]。ラグビーの傍ら7月1日にはニュージーランドスタイルのカフェ「Cafe+64」をオープン[9][10]、名前は出身国ニュージーランドの国際電話の国番号に由来。 2019年8月、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出された[11]。10月、ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンとして[12]、チームを史上初のベスト8に導いた。11月3日、東京都府中市より市民栄誉賞および市民スポーツ特別栄誉賞を贈られる。 2022年3月13日、JAPAN RUGBY LEAGUE ONE2022第9節NECグリーンロケッツ東葛戦において先発出場し通算100試合出場(JAPAN RUGBY LEAGUE ONEと前身のトップリーグ[13]との通算)を達成、試合後にピッチ上で家族と共に祝福された。 2023年7月22日、パシフィックネーションズシリーズのサモア代表戦[14]において、前半30分にハイタックルでレッドカードを取られ退場、日本代表チームは以後14人での苦戦となった[15][16]。レッドカード退場は人生初[17]。7月27日、ワールドラグビーは3試合の出場停止処分の判定を行った[18][19]が翌8月出場停止は2試合に軽減された[20]。
プロフィール
父はニュージーランド出身のスコットランド系白人、母はフィジー出身。
ポジションはフランカー、ナンバーエイト。
身長: 190cm、体重: 105kg
日本代表キャップは84(2023年10月8日現在)。
左利き。
家族は妻と一女、一男。
来歴