リーチマイケル
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、日本の人名慣習に従い、名前を姓名順で表記しています。姓はリーチ、名はマイケルです。

リーチ マイケル秩父宮ラグビー場
(2021年2月27日撮影)
生年月日 (1988-10-07) 1988年10月7日(35歳)
出身地 ニュージーランドクライストチャーチ
身長190 cm (6 ft 3 in)
体重105 kg (16 st 7 lb)
学校札幌山の手高校
大学東海大学
ラグビーユニオンでの経歴

ポジションフランカー、ナンバーエイト
在籍チームBL東京
シニア経歴
年チーム出場(得点)
2011-BL東京107()
更新日:  2022年5月21日
スーパーラグビー
年チーム出場(得点)
2013, 2015?2017チーフス34(35)
2018サンウルブズ8(5)
更新日:  2021年2月21日
代表
年チーム出場(得点)
2008 U20日本5(5)
2008? 日本84(110)
更新日:  2023年10月8日

リーチ マイケル(英語: Michael Leitch, 1988年10月7日 - )は、ニュージーランドクライストチャーチ出身のラグビーユニオン選手。2013年に日本帰化した。JAPAN RUGBY LEAGUE ONE東芝ブレイブルーパス東京に所属。旧表記はマイケル・リーチ。

2014年から2021年まで日本代表キャプテンを務め、ラグビーワールドカップ20152019での日本代表の躍進に貢献した。
プロフィール

父はニュージーランド出身の
スコットランド系白人、母はフィジー出身。

ポジションはフランカー、ナンバーエイト

身長: 190cm、体重: 105kg

日本代表キャップは84(2023年10月8日現在)。

左利き。

家族は妻と一女、一男。

来歴

15歳の時にクライストチャーチのセント・ビーズ・カレッジから留学生として来日し、札幌山の手高校に入学[1]。同校卒業後は、東海大学体育学部へ進学し東海大学体育会ラグビーフットボール部に所属。2008年に開催されたラグビージュニア世界選手権に日本代表として出場。同年11月16日アメリカ戦で日本代表として初キャップを獲得。東海大学3年時に第46回全国大学ラグビーフットボール選手権大会[2]で準優勝。大学4年の大学選手権でもベスト4をそれぞれ経験。東海大学卒業後、チームメイトの三上正貴と共に東芝ブレイブルーパスに加入。同年開催のワールドカップの日本代表に選出され、予選プール全4試合、フランカーとして出場。

2013年スーパーラグビーの強豪チーフスに期限付き移籍すると発表したが[3]、同年2月に腕を骨折していることが判明[4]したため、後にチーフスとの契約を解除された。加えて、同年6月1日に行われたフィジー戦で足首を脱臼骨折[5]した。同年7月25日に法務省から帰化の認可が下りた[6]ことから、今後は「日本人プレーヤー」として活動することが可能になった。それに伴い登録表記をそれまでの「マイケル・リーチ」から現在の「リーチ マイケル」に変更。またこの年東芝で主将を務める。

2014年4月、エディー・ジョーンズヘッドコーチから日本代表キャプテンに指名された。アンドリュー・マコーミックに続き2人目のNZ出身キャプテンに就任。

2015年、チーフスに再加入[7]。また同年開催のワールドカップの代表に主将として選出された[8]。ラグビーの傍ら7月1日にはニュージーランドスタイルのカフェ「Cafe+64」をオープン[9][10]、名前は出身国ニュージーランドの国際電話の国番号に由来。

2019年8月、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出された[11]。10月、ラグビーワールドカップ日本代表のキャプテンとして[12]、チームを史上初のベスト8に導いた。11月3日、東京都府中市より市民栄誉賞および市民スポーツ特別栄誉賞を贈られる。

2022年3月13日、JAPAN RUGBY LEAGUE ONE2022第9節NECグリーンロケッツ東葛戦において先発出場し通算100試合出場(JAPAN RUGBY LEAGUE ONEと前身のトップリーグ[13]との通算)を達成、試合後にピッチ上で家族と共に祝福された。

2023年7月22日、パシフィックネーションズシリーズサモア代表[14]において、前半30分にハイタックルでレッドカードを取られ退場、日本代表チームは以後14人での苦戦となった[15][16]。レッドカード退場は人生初[17]。7月27日、ワールドラグビーは3試合の出場停止処分の判定を行った[18][19]が翌8月出場停止は2試合に軽減された[20]


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