リージェンツ・パーク
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リージェンツ・パーク
Regent's Park
リージェンツ・パーク上空写真
所在地 イギリスロンドンウエストミンスター区カムデン区
開園1845年
公式サイト公式ホームページ
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リージェンツ・パーク (The Regent's Park) は、ロンドン北部にある王立公園 (Royal Park)、およびその周辺地域の名称である。公園はウエストミンスター区カムデン区にまたがり、総面積は166ヘクタール (410エーカー)を誇る。公園内には400種類、30,000本以上のバラが咲く庭園[1]、野外劇場、運河、スポーツ施設、学校などがありロンドン市民の憩いの場となっている。朝5時から日没までオープン。入園は無料。
概要地図公園内の池Winfield Houseリージェンツ・パーク周辺のテラス式ハウス

リージェンツ・パークには長さ4.3キロメートルの外周道路 (アウター・サークル)とより小さい内周道路 (インナー・サークル)の2つの円周道路があり、インナー・サークル内には公園の核であるクィーン・メアリー・ガーデンが設置されている。この2つのサークルを繋ぐ道路以外は敷地内のすべての道路が歩行者専用となっており、その為公園内はゆったりとしている。公園の南側、東側そして西側の大部分はトラファルガー広場リージェント・ストリートも設計したジョン・ナッシュのデザインによるスタッコ塗りの白いテラス式住宅が立ち並んでおり、優雅な空間を作り出している。公園の北東側を占めるのは世界で最初の科学動物園で、オカピなどがいるロンドン動物園ロンドン動物学会である。ロンドン動物園の更に北側にはバーミンガムからロンドンのテムズ川までを繋ぐグランウンド・ユニオン運河の一部で、リージェンツ運河と呼ばれる運河が通っている。この運河のおかげでCamden LockやMaida Valeから水上バスでリージェンツ・パークや動物園にアクセスできる。運河を越えさらに北に進むと、そこはプリムローズ・ヒルである。プリムローズ・ヒルはリージェンツ・パークと地続きで一体化しているように思えるが、別の公園であり、小高い丘から見渡すロンドンのシティウエスト・エンドの眺望や数々の芸術作品の舞台として有名である。

リージェンツ・パークの広大な敷地の大部分は自然公園となっており、前述のクィーン・メアリー・ガーデンの他にアヴェニュー・ガーデンなどの庭園、サギ水鳥の繁殖地で夏にはボート遊びもできる、子供たちのための遊び場などがある。イギリス式庭園イタリア式庭園などさまざまな種類の庭園があり、人々を楽しませてくれる。人々を楽しませると言えば、インナー・サークルには夏になるとシェークスピア演劇などが上演される野外劇場がある。また敷地の大部分が芝生に覆われているので人々が自由にスポーツを楽しんでいる。リージェンツ・パークで人々が楽しんでいるのは、サッカーラグビークリケットフリスビーなどである。サッカーのフィールドでさえ何面も作れるだけの面積があるので、時にその眺めは壮観なものとなる。またテニスコートも公園の南側にある。なお、2012年に開催されるロンドンオリンピックではロードレース競技がリージェンツ・パークにて開催される予定である。
公園内の建物

公園内にはいくつかの歴史的な建物がある。Winfield House在英アメリカ合衆国大使の大使公館である。アメリカ合衆国大統領イギリスを訪問する際にはここを訪れることが多い。2009年4月にロンドンで行われた第2回G20首脳会合の際にもオバマ大統領はこのWinfield Houseに宿泊し、ここでロシアメドヴェージェフ大統領と会談したり、ここからドックランズでの会議に赴いていた[2]。St John's Lodgeはナッシュのデザインが現存する数少ないVilla (庭付きの田舎風邸宅)である。この建物は現在も個人所有であるが、庭園は一般に公開されている。リージェンツ・パーク・モスクの呼び名で親しまれているLondon Central Mosqueは国王ジョージ6世の寄付によって建設されたイスラム教モスクである。金色のドームが特徴的なこの建物は公園の大部分の場所から見ることが出来るので公園のランドマークになっている。

リージェンツ・パークには高等教育機関キャンパスもある。インナー・サークルの南側には Regent's University Londonがあり、イギリスでは数少ない私立大学の一校である。また公園のすぐ隣にはロンドン大学のカレッジの一つであるロンドン・ビジネス・スクール王立音楽アカデミーがある。
管理

公園の管理は他の王立公園同様に政府機関であるThe Royal Parksが、公園の自由保有権を保持しているThe Crown Estateと共同で行っている。公園自体はシティ・オブ・ウエストミンスター区とカムデン区にあるがリージェンツ・パークにおけるこれらの自治体の役割は限定的である。
歴史ヘンリー8世
前史

中世、現在のリージェンツ・パークがある土地はタイバーン村の荘園としてバーキング修道院 (Barking Abbey)が保有していた。ところがイギリス国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発したイギリス国王とローマ・カトリック教会の対立が激化し、国王はイングランドウェールズアイルランドにある修道院の解散令 (Dissolution of the Monasteries)を出す。そして国王はこの土地を修道院から接収してしまう。以来、干し草やチーズ製造のために土地が貸し出されたわずかな期間[3]の例外を除き、現在リージェンツ・パークがある土地は英国王室所有となる。英国王室は17世紀当時「メリルボーン・パーク」("Marylebone Park")と呼ばれたこの土地を狩猟場として使用し、女王エリザベス1世や国王ジェームス1世が各国の大使達と狩りを楽しんでいた。
混乱期チャールズ1世

1646年、国王チャールズ1世イングランド内戦王党派が必要な兵器および弾薬代金の負債に対する担保として、George Strode卿とJohn Wandesfordeの二人にメリルボーン・パークの土地を与え、特許状も発行した。ところが1649年にチャールズ1世がオリバー・クロムウェル率いる議会派に敗北し処刑されると、イングランドは王室を廃止しイングランド共和国となり、前国王の特許状に基づくメリルボーン・パーク所有に関する二人の紳士の主張には誰も耳を貸さなかった。それどころか、英国議会はHarrison大佐が率いる竜騎兵への賃金の原資を確保するため、John Spencerという人物にメリルボーン・パークを売却してしまう。


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