株式会社ロイヤルホテル
THE ROYAL HOTEL, LIMITED種類株式会社
市場情報東証スタンダード 9713
リーガロイヤルホテル(RIHGA ROYAL HOTEL)は、大阪府大阪市北区中之島五丁目にあるシティホテル。リーガロイヤルホテルチェーンに属する。本項では運営会社の株式会社ロイヤルホテル(The Royal Hotel, Ltd.)についても述べる。リーガ(RIHGA)は、Royal International Hotel Group & Associatesの頭文字をとったものである。 長年にわたり大阪を代表する格調高い大型高級ホテルとして、国内外にその名を知られている。ホテルの設備などが整っていることや、外国の政府関係者がこのホテルをたびたび利用することから「大阪の迎賓館」とも呼ばれている[1]。 その他、特徴ある施設として地下のブティック街(パレロイヤル[2])に有名服飾ブランドを扱う店舗が多数出店している。独創的な商品・サービスを他に先駆けて提供する事も多い。 企業風土として積極的な市場開拓精神もあり、通称「ホテイチ」(ホテルの1階にあるのでそう呼ばれる。似たものにデパートの地下の食料品コーナーの意味で「デパチカ」がある)と呼ばれるホテルブランド(リーガロイヤルホテルでは「メリッサ」)の食品・惣菜の専門店を日本国内において戦略的に事業展開し一時マスコミを中心に「ホテイチ」の流行を作った。 こうしたこともあり、関西ではその名がよく知られているホテルブランドである。西日本の都市部を中心にホテルチェーンを展開しているほか、東京にもリーガロイヤルホテル東京を出店している。 1935年(昭和10年)10月16日に前身の「新大阪ホテル」[1]が中之島3丁目に開業する(1973年まで営業)。戦後の一時期、新大阪ホテルが連合国軍総司令部に接収されたことから、1949年(昭和24年)、市内博労町に東邦ホテルを開業する(1967年まで営業)。 1958年(昭和33年)には中之島2丁目に「大阪グランドホテル」を開業した(後に「リーガグランドホテル」に改称、2008年まで営業)。 1965年(昭和40年)には中之島5丁目の現在地に「大阪ロイヤルホテル」を開業。大阪府内でも格式は高く、1970年には大阪万博開会式に出席した皇太子夫妻も宿泊している[3]。1973年(昭和48年)8月に「新大阪ホテル」を閉鎖して同年9月1日に社名とホテル名を「ロイヤルホテル」に改称し[4]、さらに1990年(平成2年)4月、グループ名をロイヤルホテルからリーガロイヤルホテルグループに改称、1997年(平成9年)4月にはホテル名も「ロイヤルホテル」から「リーガロイヤルホテル」に改称した。 1980年代から1990年代にかけて海外・国内に積極的に店舗展開を図った。1994年(平成6年)には早稲田大学との土地信託方式により「リーガロイヤルホテル早稲田(現・東京)」を開業して[1]初めて本格的な東京進出を果たし、海外では、ケアンズ(オーストラリア)、ボルネオ(インドネシア)、ニューヨークなどに進出したが、その後は海外事業から順次撤退し、2006年(平成18年)7月には、最後まで展開していたケアンズコロニアルクラブリゾートを地元資本に売却して海外事業から完全に撤退した。また、国内でも、リーガロイヤルホテル成田(現ヒルトン成田)を売却するなど、規模を縮小した。 2006年(平成18年)、森トラストへ第三者割当増資を行い、従前の筆頭株主のアサヒビールに代わり森トラストが40%の大株主となった(2011年10月に森トラストはアサヒビール・サントリーホールディングス・関電不動産・大阪ガス・竹中工務店・銀泉の6社に一部株式を譲渡、再びアサヒビールが筆頭株主となる[5])。それ以前は住友グループの一員ともいえるほど親密であり、住友の企業城下町である新居浜市にも出店している。 2017年夏に新しいブランドのラグジュアリーホテルを中之島フェスティバルタワー(大阪グランドホテル→リーガグランドホテル跡地)と正対する中之島フェスティバルタワー・ウエスト(仮称)の高層階にオープンさせる計画があったが[6]、交渉が折り合わず中止となり、最終的にヒルトン系列の「コンラッド・ホテル」の進出が決定した[7]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
特徴
沿革
経営状況.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
出典検索?: "リーガロイヤルホテル"
バブル期絶頂期までは特に問題なく安定していたが、ただ当時のいくつかの他の日本企業と同じく、バブル期その当時に莫大な投資をして国内・海外にいくつかホテルを新規展開した。これによって全国的にホテルのブランド名が知られたという効果を持った側面があった。
しかしバブル崩壊の業績悪化により、それら新規投資ホテルは結果として売却されたので殆ど利益にならなかった。明らかに当時の経営陣による大失敗であり現在に至るまで負の遺産としてグループ全体に悪影響を及ぼしている[要出典]。
設立経緯から関西財界の結び付きが非常に強く、特に旧住友財閥系列との関係が深い。2017年就任の代表取締役社長の蔭山秀一は三井住友銀行元取締役副会長でもあり、住友財閥系の金融機関(三井住友銀行、三井住友信託銀行等)が支援する関係が続いているとみられる。ロイヤルホテルの大株主についても住友財閥系を含む在阪企業が上位を占めており、2021年3月期現在でアサヒビール、サントリーホールディングス、関電不動産開発、三井住友銀行、大阪瓦斯、竹中工務店等である。
その一方、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大阪本店を中心としていくつかのグループホテルでは経営状態は安定しており、やや経営が持ち直している面もあるとされるが[要出典]業績では2001年(平成13年)3月期の売上733億円に対し、2006年(平成18年)3月期で売上584億円(見込み)と他ホテルやビジネス宿泊特化系との激しい競争の影響が見られる。
また前述のとおり、森トラストとの業務資本提携及び三井住友銀行の債務株式化(デット・エクイティ・スワップ)による金融支援が決定したが、2001年度(平成13年度)にも一度金融支援を受けている。
2006年(平成18年)10月24日、一部報道で森トラストと合同で中之島再開発の件が報じられた、現在のウェストウィングを取り壊しオフィスと一体化した新たな高級ホテルを建築するというものである。ウェストウィングは老朽化しておりその対応も急務であったところであるが、減資及び増資で希薄化した株式また収益に比して未だ過大な債務など財務上の不安は抱えており新たな投資に耐えられるかが焦点になる(その後、2007年2月19日 ウエストウイング 6階 - 13階シングルルーム全360室を改装する(2007年夏着工)と発表)。また森トラスト自体は東京で「コンラッド東京」の経営にも参画していることもあり、こういった「身内」の外資とロイヤルホテルの提携に踏み込んだ場合業界再編につながる可能性も指摘される。[要出典]
グループホテルの内、リーガロイヤルホテル広島とリーガロイヤルホテル小倉は、他ホテルとの競合により収益が悪化し、2ホテルを運営する株式会社リーガロイヤルホテル広島(初代)と株式会社リーガロイヤルホテル小倉(初代)は2017年3月期でも債務超過が解消されない状態となっていた。リーガロイヤルホテルは2017年(平成29年)7月に、リーガロイヤルホテル広島(初代)とリーガロイヤルホテル小倉(初代)に対する債権放棄を行った。同時に、同年9月1日付で2社の会社分割を実施し、2ホテルの運営を新設された株式会社リーガロイヤルホテル広島(2代)と株式会社リーガロイヤルホテル小倉(2代)へ承継させた。株式会社リーガロイヤルホテル広島(初代)は株式会社RRHHに、株式会社リーガロイヤルホテル小倉(初代)は株式会社RRHKへそれぞれ商号変更され、同年9月30日に解散。株式会社RRHHは同年12月5日に広島地方裁判所から、株式会社RRHKは同年12月11日に福岡地方裁判所小倉支部からそれぞれ特別清算開始決定を受けた[8][9][10]。
2023年1月20日、大阪本店の土地と建物をアメリカの不動産投資ファンド「ベントール・グリーンオーク・グループ(BGO)」に売却すると発表した。売却額は非公開。ホテルの運営は引き続きロイヤルホテルがBGOからの委託という形で行う。併せて、ロイヤルホテルの株式33%分をBGOが取得し、筆頭株主になることも明らかにした[11]。また、同日にインターコンチネンタルホテルズグループ(IHG)のヴィニェット コレクションに加盟する予定である旨がIHGから発表された[12]。ヴィニェット コレクションホテルは国内初となる。それに先立ち、2023年6月30日にIHGに加盟した[13]。 戦前、大阪に国際的・近代的ホテルを求める財界の声があがり、1932年(昭和7年)に大阪市と住友合資会社を中心とする大阪財界の有力者が協力して[1]新たなホテルを設立することになった。 はじめ帝国ホテル社長犬丸徹三も参画し、大阪市土木部に臨時ホテル建設事務所を設け、京都帝国大学教授武田五一にその主幹を委嘱して基礎工事を進めていたが、事情があって改めて長谷部竹腰建築事務所がこれを引き受けることになり、竹腰健造が大阪市土木部臨時ホテル建築事務所副主幹を委嘱された。竹腰は犬丸と打ち合わせて内部プランを全面的に改め、外観は長谷部鋭吉がルネッサンス式に変更した。地下2階、地上8階建ての建物は1931年(昭和6年)10月1日に着工、1935年(昭和10年)1月10日に竣工した。基礎は大林組、主體は清水組(現・清水建設)による施工であった。
新大阪ホテル