リヴザルト収容所
Camp de Rivesaltes
リヴザルト収容所跡(2007年)
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情報
旧名称ジョフル収容所(駐屯地)
用途リヴザルト記念館
旧用途軍事教練施設、スペイン難民収容所、ユダヤ人通過収容所、アルキ収容所、移住者収容所
設計者(記念館)ルディ・リチョッティ
リヴザルト収容所(Camp de Rivesaltes)は、南仏ピレネー=ゾリアンタル県(オクシタニー地域圏)リヴザルトに1935年に建設された施設であり、主にスペイン内戦による難民の収容所、ナチス・ドイツ占領下のユダヤ人通過収容所、およびアルジェリア独立戦争後のアルキの収容所として使用され、計5万人が収容された。2000年に歴史的記念物に指定され、2015年に建築家ルディ・リチョッティ(フランス語版)の設計によるリヴザルト記念館が開館した。 リヴザルト収容所は、1935年、ピレネー=ゾリアンタル県(オクシタニー地域圏)のサルス=ル=シャトー
歴史
フランス植民地軍軍事教練施設
難民収容所 - スペイン内戦「ル・ヴェルネ収容所#スペイン内戦」も参照スペイン内戦の激戦地・爆撃地 - 地図上部のフランス国内に黒点と赤丸で難民収容所:西(左)からギュルス(Gurs)、ル・ヴェルネ(Vernet d’Ariege)、リヴザルト(Rivesaltes)
1936年に勃発したスペイン内戦で、1939年1月26日にバルセロナが陥落すると、2週間ほどの間に約5万人の難民がピレネー山脈を越えてフランスに到着した。「レティラーダ(フランス語版)」(「撤退」の意)として知られる、このスペインからの難民の大量流入を受けて、ダラディエ政府は国境を再開した。というのは、スペイン内戦が勃発した1936年より前から、とりわけ、ヒトラー内閣が成立した1933年以降は、それ以前に欧州で最も多く移民・難民を受け入れていたフランスも[3]、規制を強化せざるを得なくなり、すでに1938年6月13日にスペイン国境を閉鎖していたからである[4][5]。1938年11月12日の政令(外国人取締法[6]、11月13日付フランス共和国官報掲載)では、外国人の居住条件やフランス国籍の取得条件が厳格化されるほか、「国防・治安を脅かすおそれのある個人」を敵性外国人として国外追放し、もしくは国防戦争相および内相の決定に基づいて指定された施設に収容すると定められ[7]、これ以後、「集結所」、「宿泊所」と称する施設が全国に設置されていった。こうして、ジョフル収容所は1939年に、他の施設への配属を待つ難民の通過(一時滞在)収容所(リヴザルト収容所)となった。同年2月にスペインから最初の民間人の難民が到着し、収容所内の16区画(各区に150、計2,400のバラック)に割り当てられた[1]。
1940年に収容所の一部が、労働省(フランス語版)所轄の外国人労働者隊(CTE)に割り当てられた。外国人労働者隊とは、亡命申請を許可された外国人に、フランス軍における兵役の代わりに労働を提供するよう促す1939年4月12日の政令によって結成されたものであり、後に外国人労働者団(GTE)と改称され、リヴザルト収容所にはスペイン人によって構成される第223、227および228労働団計1,600人のほか、フランス領セネガル人・インドシナ人らによる植民地軍第28歩兵連隊(RICMS)が置かれた[1][2]。 1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。これを受けて9月3日にフランスと英国がドイツに宣戦布告。約8か月にわたる奇妙な戦争の後、1940年5月10日、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、次いでフランスに侵攻した。6月14日にパリ陥落、6月22日に独仏休戦協定が締結されると、外国人労働団・歩兵連隊は解散され、リヴザルト収容所は閉鎖された。だが、独仏休戦協定によりフランスがドイツ軍の占領地域
ユダヤ人通過収容所 - 第二次世界大戦