リヴァプールFC
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リベルプールFC」とは異なります。

女子チームについては「リヴァプールFCウィメン」をご覧ください。
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リバプールFC

リヴァプールFC

原語表記Liverpool Football Club
呼称LFC
愛称The Reds(赤)
クラブカラー    赤
創設年1892年
所属リーグプレミアリーグ
所属ディビジョン1部(2023-24
ホームタウンリヴァプール
ホームスタジアム
アンフィールド
収容人数60,725
運営法人フェンウェイ・スポーツ・グループ(英語版)
代表者 トム・ワーナー(英語版)
監督 ユルゲン・クロップ
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

リヴァプールFC(英語: Liverpool Football Club)は、イングランドリヴァプールをホームタウンとする、イングランドプレミアリーグに加盟するプロサッカークラブ。愛称はレッズ(The Reds)。

1892年にホームスタジアムのアンフィールドとライバルクラブのエヴァートンFCの関係から創設された。
概要

1960年代半ばから80年代にかけて、3連覇(1981-82、1982-83、1983-84シーズン)達成を含むフットボールリーグ優勝13回、UEFAチャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)優勝6回など、40以上のタイトルを獲得した。イングランドのみならず世界を代表する強豪クラブの一つであるが、一方でヘイゼルの悲劇ヒルズボロの悲劇という2つの大きな事件を引き起こした(後述)。

2005年にイスタンブールの奇跡と呼ばれる勝利でACミランを下し、UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップを含む)制覇を果たす。これによりイングランドで唯一ビッグ・イヤーの永久保持が認められた。

2012年に創設120周年を迎えた。クラブ史上、監督を務めたのは18人[1]。現在の監督は2015年10月に就任したユルゲン・クロップである[1]

フットボールリーグにおいて最多となる18回の優勝を誇る[2]。イングランドのトップリーグにおける最多優勝回数記録を長年にわたり保持していたが、2010-11シーズンのリーグを制したマンチェスター・ユナイテッドに抜かれ、現在はそれに次ぐ優勝回数となっている[2]。国内タイトルでは唯一プレミアリーグ優勝の経験がなかったが、2019-20シーズンにプレミアリーグとして初の優勝を成し遂げた。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億4060万ユーロであり、世界のサッカークラブの中で第12位である[3]

世界中のサッカークラブのサポーター達に歌われ、人気を得ているサポーターソング「You'll never walk alone」を最初に合唱したクラブでもある。

エンブレムについて。リヴァプールのエンブレムには、中央にLiver Birdと呼ばれる鳥が描かれている。これは、リヴァプールの船乗りの守り神であり、地名の由来にもなっている。また、Liver Birdの上には先述のYou'll never walk aloneの文字が刻まれている。
歴史
黎明期

1891年、アンフィールドのオーナージョン・ホールディング(英語版)は、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンに対して施設使用料の値上げを要求したが、エヴァートンはこれを拒否し現在のグディソン・パークへの移転を決定した[4]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[5]、その名前を「エヴァートンFC・アンド・アスレティック・グラウンズ・リミテッド」(Everton F.C. and Athletic Grounds Ltd. 、略称: エヴァートン・アスレティック Everton Athletic)と定めた。後に考えを改め、1892年3月15日に「リヴァプールFC」と全く新しい名前のクラブを創立した。同年9月1日に行われたロザラム・タウン(英語版)[6] との親善試合が、リヴァプールとして初めての試合となった[7]

1936年6月、ジョージ・パターソン(英語版)に代わってジョージ・ケイ(英語版)が監督に就任。サウサンプトンFCからの就任だった。ケイ就任後の12試合は3勝4分という成績で、1936-37シーズンは18位でリーグを終える。1937-38シーズンは開幕戦の相手の本拠地スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦に1-6で敗れ、11位でリーグを終えた。

1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーをビショップ・オークランド(英語版)から移籍金をかけずに獲得。またビリー・リッデル(英語版)も獲得した。第二次世界大戦へと突入し、リーグは活動の停止を余儀なくされる。
第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、リヴァプールはアメリカカナダへの遠征を計画。この計画はジョージ・ケイによるもので、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものであった。1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。

1949-50シーズンにFAカップで決勝に進出したが、アーセナルに敗れ[8]、初のFAカップ制覇を逃す。ケイは1951年に引退し、監督の座はドン・ウェルシュ(英語版)に引き継がれた。
シャンクリーによる改革アンフィールド前に建つビル・シャンクリーの像

クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。1954年に2部に降格し、数年にわたり低迷していたが、1959年にビル・シャンクリーが監督として就任[9][10]。シャンクリーは低迷した空気を払拭すべく大きな改革に乗り出した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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