リヴァプール
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「リヴァプール」のその他の用法については「リヴァプール (曖昧さ回避)」をご覧ください。

シティ・オブ・リヴァプール
City of Liverpool


上から時計回りに、リヴァプールの都市景観、Royal Liver Building, リヴァプールのスカイライン、Albert Dock, リヴァプール・アリーナ, ビクトリア・ストリート.


市章

位置

リヴァプールの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}リヴァプールリヴァプール (リヴァプール中心部)リヴァプール中心部の地図を表示リヴァプールリヴァプール (リヴァプール)リヴァプールの地図を表示リヴァプールリヴァプール (マージーサイド)マージーサイドの地図を表示リヴァプールリヴァプール (イングランド)イングランドの地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度25分 西経3度0分 / 北緯53.417度 西経3.000度 / 53.417; -3.000
行政
イギリス
 連合王国 イングランド
 リージョンノース・ウェスト・イングランド
 大都市カウンティマージーサイド
 市シティ・オブ・リヴァプール
市長ジョアン・アンダーソン(英語版)
労働党
地理
面積 
  市域111.84 km2
標高70 m (230 ft)
人口
人口(2019年現在)
  市域498,042人
    人口密度  4,424人/km2
  市街地864,122人
  都市圏2,241,000人
その他
等時帯西ヨーロッパ時間 (UTC+0)
夏時間西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1)
郵便番号L
市外局番0151
ISO 3166-2GB-LIV
公式ウェブサイト : www.liverpool.gov.uk/
1890年代の ライム・ストリート

リヴァプール(Liverpool)は、イギリスイングランド北西部マージーサイド州の中心都市である。2019年の人口は約50万人。かつてはイギリスの主要な港湾都市であったが、現在では観光都市として知られる。世界的ロック・バンドであるザ・ビートルズの出身地。
地勢

アイリッシュ海に面し、マージー川の河口に位置する。18世紀より貿易港として発展した。近隣の都市としては、約25km南に位置するチェスター、約50キロ東に位置するマンチェスターなどが挙げられる。マンチェスターは市域面積及び市域人口がほぼ同じ。
歴史
街の建設
最初に記録に現れるのは
1195年、"Liuerpol"または"dirty pool"としてである。それから12年後、1207年ジョン王が都市建設を勅許し、まだ村であるリヴァプールに自由都市の特権をあたえた[注釈 1]。とはいえ、しばらくは小さなで、16世紀中ごろの人口は600人程度であった。
成長・発展
しかし17世紀末に近郊のチェスター港が泥の堆積によって衰退、チェスターに代わってイングランド北西部商業都市の代表格にのし上がり、郊外では製造業が成長、アメリカおよび西インド諸島との貿易が増大するにしたがい町は繁栄した。1715年、イギリス初の係船ドックが建設される。植民地との貿易が盛んになった18世紀当時のイギリスは、ヨーロッパからアフリカ日用品火器を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む「大西洋三角貿易」において、ほぼ独占的な地位を築いており、リヴァプールは、この北アメリカ西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たしたのである。ただし、これはおもに奴隷貿易で急速に発展したという負の歴史があることも意味する。三角貿易などを通じて資本蓄積を成し遂げたイギリスは、世界にさきがけて産業革命を進展させた。こうしたなか、リーズ・リヴァプール運河の本線は1816年に完成した、及び1830年にはリヴァプールと内陸のマンチェスターを結ぶ鉄道が開通し、1860年代には鉄道交通の要所となる。綿織物工業が発展していたマンチェスターから運ばれた商品は、この街の港から世界に輸出され、19世紀末にはロンドンに次ぐ「帝国第二の都市」とまで呼ばれるようになった。また、シノワズリ(中国趣味)を摸した陶器生産の拠点でもあった。この間、多くの移民が主にアイルランドから労働者として流入し、人口が急増。19世紀にはアメリカとの貿易および客船業務でイギリス第一の港に成長した。
衰退
最盛期は80万人近い人口を抱え、イギリス有数の工業都市・交易都市として栄えたリヴァプールだったが、第二次世界大戦時にドイツ軍のはげしい爆撃にさらされ、1940年代後半、綿貿易と繊維産業は急速に衰退した。さらに、1950年代以降イギリス全体が長期の不況に陥るのと並行して急速に斜陽化し、次第に地位が低下していった。
再建
1960年代から1970年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、現在は、港湾部の歴史的な施設、ビートルズゆかりの建物、街角に配したアート・オブジェなどを活用した観光に力を入れており、今では観光が街の経済を支える規模になっている。ヴィクトリア時代にイングランドを代表する国際貿易港として黄金時代を築いたリヴァプールは歴史的な建造物の宝庫で、イギリス指定建造物に指定される文化財も少なくない。現在これらは観光資源として重要な役割を果たしている。
経済大戦追悼碑(リバプール綿業協会、2019年)。

港では、穀物・食料・木材・非鉄金属・繊維などを輸入し、アイルランド行きの客船もでている。製造業は、医薬品・電気器具・精製糖類・粉製品・ゴム製品などの製造が盛ん。郊外では自動車の生産や精油もおこなわれる。

1841年に設立されたリヴァプール綿取引協会は、2004年に国際綿業協会(英語版)となった[2]
交通マージーレイル 路線図フェリー乗り場マージーフェリー
鉄道

中心駅としてライム・ストリート駅がある。ロンドン行きの長距離列車はほぼ1時間に1本で、ユーストン駅に2時間半で到着する。このほかマンチェスターバーミンガムなど、各地へ向かう列車がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef