Lynn Anderson
2011年4月
基本情報
出生名Lynn Rene Anderson
別名The Great Lady of Country Music
生誕1947年9月26日
出身地 アメリカ合衆国 ノースダコタ州グランドフォークス
死没 (2015-07-30) 2015年7月30日(67歳没)
ジャンルカントリー・ポップ
職業歌手、騎手
担当楽器ボーカル
活動期間1966年 - 2015年
レーベルチャート・レコード
コロムビア・レコード
Permian
MCAレコード
マーキュリー・レコード
共同作業者Liz Anderson
リン・アンダーソン (Lynn Anderson) と通称される、リン・リーン・アンダーソン(Lynn Rene Anderson、1947年9月26日 - 2015年7月30日)は、世界的な大ヒットとなった「ローズ・ガーデン ((I Never Promised You a) Rose Garden)」など、1970年代から1980年代に一連のヒット曲を出し、多数の受賞歴をもつアメリカ合衆国のカントリー音楽歌手。全国中継のテレビ番組にレギュラーとして出演していたことにもあって、アンダーソンは1970年代において最も成功した女性カントリー歌手のひとりとなっていた[1]。アンダーソンは、アカデミー・オブ・カントリーミュージック (ACM) のアカデミー・オブ・カントリーミュージック賞 (Academy of Country Music Awards) において「最優秀女性ボーカル賞 (Top Female Vocalist)」を2度受賞し、カントリーミュージック協会 (CMA) のカントリーミュージック協会賞でも「女性ボーカリスト賞 (Female Vocalist of the Year)」を受賞、さらにグラミー賞もひとつ獲得しており、チャート首位となった曲は11曲、トップ10入りは18曲、トップ40入りは50曲以上あった。アンダーソンは、1974年に、女性カントリー歌手として初めてアメリカン・ミュージック・アワードを受賞し、またこの年には、同様に女性カントリー歌手として初めてマディソン・スクエア・ガーデンでヘッドライナーとして公演を行い、チケットを完売した。『レコード・ワールド (Record World』誌と『ビルボード』誌は、いずれも、アンダーソンを1970年代の「アーティスト・オブ・ディケイド (Artist of the Decade)」に選出した[2]。
アンダーソンは1966年に19歳でデビューし、デビュー・アルバム『Ride, Ride, Ride』が、最初の大ヒットとなった。1960年代にカントリー音楽チャートにおいて一連のヒット・シングルを放った後、1970年にコロムビア・レコードと契約を結んだ。コロムビアでは、彼女にとって最も成功した一連のヒット曲が制作された。「ローズ・ガーデン ((I Never Promised You a) Rose Garden)」は、カントリー音楽の曲の中でも、ジャンルや時代を超えて最も売れた楽曲のひとつとなっている。この曲は、カントリー音楽チャートにおける大ヒット曲となったばかりでなく、ポップ・チャートである Billboard Hot 100 においても3位まで上昇した。カントリー・ミュージック・テレビジョン (CMT) は、「カントリー音楽の歴史における最も偉大な100曲 (100 Greatest Songs in Country Music History)」において、「ローズ・ガーデン」を83位とした。
生い立ち (Fair Oaks, California) で育った[3]。彼女は、いずれもカントリー音楽のソングライターであった父ケイシー・アンダーソン (Casey Anderson) と母リズ・アンダーソン (Liz Anderson) の間の娘であった[1]。リンの祖父はノルウェーのアレマルク (Aremark) 生まれであった[4]。
彼女は幼い6歳の頃から歌うことに興味を持っていたが、彼女がまず才能を発揮して成功を収めたのは地元カリフォルニア州内外の馬術競技会においてであり、この分野で700以上の栄誉を得[4]、1966年には「カリフォルニア・ホース・ショーの女王 (California Horse Show Queen)」となった。十代の頃には、地元のテレビ番組『Country Caravan』に定期的に出演するようになった[3]。
1965年、彼女が、当時カリフォルニア州サクラメントにあったトップ40フォーマットのラジオ局KROYで秘書として働いていたとき、母リズ・アンダーソンが書いた作品である「All My Friends Are Gonna Be Strangers」が、マール・ ハガード (Merle Haggard) によって吹き込まれ、カントリー音楽チャートで10位に入るヒット曲となった。これを受けて、母にRCAビクターとカントリー音楽歌手として契約を結ぼうかという話が持ち上がった[1]。母に同行してテネシー州ナッシュビルへおもむいたアンダーソンは、ホテルの部屋で非公式に催された集まりに参加して、カントリー界のスターであったマール・ ハガードやフレディ・ハート (Freddie Hart) らと一緒に歌ったりしていた。この集まりには、地元のレコードレーベル「チャート・レコード」の社主スリム・ウィリアムソン (Slim Williamson) も顔を出していた。ウィリアムソンは、リン・アンダーソンの才能を見抜き、自分のレーベルで吹き込みをするよう彼女に勧めた。1966年から、アンダーソンはチャート・レコードでレコーディングを始めた[3]。 1966年、リン・アンダーソンは、ジェリー・レイン (Jerry Lane) とのデュエットによるデビュー・シングル「For Better or for Worse」をリリースしたが、チャートには入らなかった。初めてチャート入りしたシングルは、チャート・レコードからの3枚目のシングル「Ride, Ride, Ride」で、この曲はカントリー・トップ40入りを果たした[4]。最初の大ヒットとなったのは、翌1967年に出したシングル「If I Kiss You (Will You Go Away)
音楽業界における経歴
カントリー音楽における成功:1966年 - 1969年
1967年、リン・アンダーソンは、テレビ番組『The Lawrence Welk Show』のレギュラー出演者となり[3]、ローレンス・ウェルク (Lawrence Welk) が率いる興行ザ・ウェルク・ロード・ショー (the Welk Road Show) の巡業に加わった。この巡業の経験は、後にアンダーソンにとって大きな利益をもたらした。ウェルクの興行は広い聴衆にアピールするものであり、アンダーソンはポップ・チャートでも成功を収める足がかりを得た。1969年には、彼女の人気はいよいよ高まり、ウェルクの番組でもレギュラー出演をやめ、ときどきゲストとして登場するようになった[3]。1968年、アンダーソンは、ソングライターで音楽プロデューサーのグレン・サットン (Glenn Sutton) と結婚した。