「リンツ」のその他の用法については「リンツ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
憲章都市 (Statutarstadt)章
位置
リンツの位置
オーバーエスターライヒ州におけるリンツの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度18分 東経14度17分 / 北緯48.300度 東経14.283度 / 48.300; 14.283
リンツ(Linz 発音、Linz an der Donau)は、オーストリアの都市。オーバーエスターライヒ州の州都。人口は約20万人。ウィーン、グラーツに続くオーストリア第3の都市である。2009年の欧州文化首都に選ばれている。世界で最も古いケーキとも言われるリンツァートルテ発祥の地としても有名である。 ドナウ川沿いに位置する商工業都市。近隣の都市としては、約70キロ北西にドイツのパッサウ、150キロ東にウィーンが位置している。 古代ローマ帝国によって設けられた砦がリンツの起源である。8世紀末にLinzeという名称が史料に現れる。13世紀に都市特権を得た。15世紀には神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の居城がおかれた。18世紀後半に司教座がおかれ、学問・芸術の中心地として発展していった。1882年にドイツ系民族主義運動の綱領が発表され、1926年にオーストリア社会民主党党大会が開催された地として知られている(リンツ綱領 (1926年) 参照)。 1938年3月12日、ドイツ国防軍とアドルフ・ヒトラーはリンツ市内に進出。前日に首相に就任したアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが市の公会堂で出迎えて会談を行った[1]。翌3月13日、ヒトラーはオーストリアを合併する総統令を発出[2]。事実上、リンツを舞台としてドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)が決定した。 第二次世界大戦中のナチス統治時代には、ヒトラーの故郷に近かったことから、巨大な美術館を建設する計画などがあったとされる。
地勢・産業
歴史