リンダ・ロンシュタット
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リンダ・ロンシュタット
Linda Ronstadt
オランダ、スキポール空港にて
(1976年11月20日)
基本情報
出生名Linda Maria Ronstadt
生誕 (1946-07-15) 1946年7月15日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国
アリゾナ州ツーソン
ジャンルロック
ポップ
カントリー・ロック
職業歌手
担当楽器ボーカル
活動期間1967年 - 2011年
レーベルキャピトル・レコード
アサイラム・レコード
エレクトラ・レコード
ヴァーヴ・レコード
共同作業者ストーン・ポニーズ
ジョージ・マッセンバーグ
公式サイトronstadt-linda.com

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt、1946年7月15日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性歌手ミュージシャン

ウエスト・コーストを代表する音楽アーティストの一人で、ウエスト・コーストの永遠の歌姫とも称される[1][2][3][4]1970年代にソロシンガーとして開花し、1980年代までトップの地位を確立した[5][6]1990年代半ばからの病気による影響で、2010年代以降は引退を余儀なくされている[5]

2014年ロックの殿堂』入り[5]
バイオグラフィー
生い立ち

父方の曾祖父はドイツからの移民[7][8]メキシコ北部で最初の採掘エンジニアになり[8]メキシコ軍にいたこともある[8]。曾祖父はメキシコ人と結婚。祖父はアリゾナ牧場を持っていた[8]。また幌馬車作りの店も持っていたことから、父は牧場育ちの金物商になった[7][8]。父は本物のカウボーイ美男子でもありよくもてた[8]。母のいた婦人社交クラブに馬を乗り付け、やがて2人は結婚した[8]。父方はドイツ、メキシコ、イギリスの血が入る[8]。母はミシガン州出身だが、母方はドイツ、イギリス、オランダ混血[8]。リンダ自身はメキシコ系ドイツ人だと思っているという[8]。父は若い頃はラジオ番組クラブにも出演した歌手だった[7][8]。リンダは姉・兄・弟の4人兄弟の3番目[8][9]。父は子供たちに幅広く様々な音楽を聴かせた[6]。また兄弟は全員美声で、皆でよく歌を歌った[8]。母はギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンウィリアム・S・ギルバート)の大ファンで、リンダもラジオから流れる50?60年代のヒット曲に親しむ[7]。音楽的背景としてペギー・リービリー・ホリデイサラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーが挙げられ[10]、最も影響を受けた歌手としてはメキシコのランチェーラ歌手・ローラ・ベルトラン(英語版)を挙げている[7]。中学時代から、かなりのツッパリ[11]。『タイム』のインタビューで「子供の頃からブリジット・バルドーが大好きで、どうしたらBBのようにセクシーになれるか、そればかり考えていた」などと話し[11]カトリック系の学校で、太ももに答えを書いてカンニングして、試験官の若いお坊さんが目をそらしている隙に答えを書いたりして、尼さんたちにずいぶん睨まれたという[11]1960年代初めにフォークブームが到来し、リンダはジョーン・バエズを愛聴し、兄と姉との3人組でツーソンのコーヒーハウスやクラブで歌い始める。地元のフォーク・シーンの中心人物だったのがボブ・キンメルで、14歳のリンダの歌声を聴いて、一世代に一人しか現れない歌声と認識したという[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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