リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプのポートレイト、1969年、アラン・ウォーレン
リンゼイ・ケンプ(Lindsay Kemp, 1938年5月3日 - 2018年8月25日、イングランド・チェシャー生まれ[1])は、イギリス出身の舞踊家、俳優[2]、教師、マイムアーチスト、振付家[3]。ケンプのダンスパフォーマンスは、大野一雄らの前衛舞踏(But?)、パントマイム、ブルレスク、ミュージックホールの演劇を融合/折衷させたようなスタイルである。 ケンプの父は船乗りだったが、1940年に海で行方不明になった[4]。ケンプ自身によると、彼は非常に幼いころから踊っていたという。「お隣さんたちを楽しませるために、よくキッチンテーブルの上で踊っていたものさ。小さな男の子がすっかりめかしこんで、爪先立ちで踊っているなんてのは、サウス・シールズでは斬新だったよ。最後は母が少し持て余してしまってね、僕を8歳でボーディング・スクールに送り込むことにした。いくらか常識を叩き込んでもらおうと思ったんだね。」[4] ケンプの母親はサウス・シールズから離れたところに暮らすようになり、ケンプはウォーキンガムの近くのベアウッド・カレッジ
経歴
ケンプは60年代初期に自分のダンスカンパニーを結成したが、はじめて脚光を浴びたのは1968年のエジンバラ・フェスティバルへの出演だった。1970年代始めごろ、リンゼイ・ケンプはダンスやマイムの教師として人気があり[4]、デヴィッド・ボウイや[5][6]、ケイト・ブッシュがケンプのクラスに参加していた[5]。