リンカーン・ハイウェイ
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'自動車道'

リンカーン・ハイウェイ
地図

路線延長5,422 km (3,389 mi)
制定年1926年
西端カリフォルニア州サンフランシスコ、リンカーン・パーク
東端ニューヨークタイムズスクエア
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
ワイオミング州シャイアンのリンカーン劇場

リンカーン・ハイウェイ(: Lincoln Highway)は、アメリカ合衆国で最初に大陸を横断した自動車用幹線道である[1]

リンカーン・ハイウェイは、インディアナ州の起業家カール・G・フィッシャーが1912年に概念を与え、正式には1913年10月31日に名付けた。東のニューヨークタイムズスクエアから、西のカリフォルニア州サンフランシスコ市、リンカーン・パークまで続いており、当初はニューヨーク州ニュージャージー州ペンシルベニア州オハイオ州インディアナ州イリノイ州アイオワ州ネブラスカ州コロラド州ワイオミング州ユタ州ネバダ州カリフォルニア州の13州を通った。1915年に「コロラド・ループ」が無くなり、1928年には再編によってウェストバージニア州の北端を掠めるようになったので、ハイウェイの歴史の中で、14州、700以上の市町村を通過したことになる。

1913年に開通したときの全長は3,389マイル (5,454 km) あった[a]。長い間にこの道路は改良され、多くの再配置が行われて、1924年の長さは3,142マイル (5,057 km) まで短くなっていた。当初のルートとその後の再配置部分を足すと総延長は5,872マイル (9,450 km) になる[3]
1928年から1930年のルートニューヨーク市タイムズスクエアの42番通りとブロードウェイの角にあるリンカーン・ハイウェイの東端を示す表示サンフランシスコ市リンカーン・パークにあるリンカーン・ハイウェイの西端を示すポスト

リンカーン・ハイウェイの最終ルート(1928年から1930年)は、フィラデルフィアからワイオミング州西部まではアメリカ国道30号線、西部州は州間高速道路80号線、ネバダ州とカリフォルニア州では国道50号線、さらにカリフォルニア州では国道旧40号線を辿っていた。さらに詳細を見ると次のようになっていた。

ニューヨーク市タイムズスクエアの42丁目ブロードウェイの交差点、ここから42丁目通りを西に6ブロックでハドソン川

ホランド・トンネル、ハドソン川を潜り、ニュージャージー州ジャージーシティ
(注: 1937年に開通したリンカーン・トンネルは、リンカーン・ハイウェイの部分ではなかった。1913年時点ではウィーホーケン・フェリーでユニオンシティに渡った。1928年に、ホランド・トンネル(1927年開通)にルート変更された。しかし、当初のリンカーン・ハイウェイ協会は、タイムズスクエアからホランド・トンネルまでを地図に載せず、ウェストサイド・ハイウェイを使って42丁目通り西からホランド・トンネル東口を繋いでいる)

アメリカ国道1号線と同9号線の合流道路、ジャージーシティからニューアークまで

ニュージャージー州道27号線、ニューアークから南西のプリンストンまで

アメリカ国道206号線、プリンストンから南西のトレントンまで

アメリカ国道1号線、トレントンから南西のフィラデルフィアまで

アメリカ国道30号線、フィラデルフィアから西にペンシルベニア州を横切り、ウェストバージニア州の北端を掠め、オハイオ州とインディアナ州を横切って、イリノイ州オーロラに至る
(注: アメリカ国道30号線には新しい4車線道路が新しく造られたので、当時の旧30号線を辿るには、市や町の中心を通る必要がある)

イリノイ州道31号線、オーロラから北西のジェネバまで

イリノイ州道38号線、ジェネバから西のディクソンまで

イリノイ州道2号線、ディクソンから西のスターリングまで

アメリカ国道30号線、スターリングから西にイリノイ州、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州に抜け、同州グランジャーに至る

州間高速道路80号線、グランジャーから西にワイオミング州とユタ州を横切り、ネバダ州ウェストウェンドーバーに至る

アメリカ国道93号線代替路と同93号線、ウェストウェンドーバーから南にイーリーまで

アメリカ国道50号線、イーリーから西にネバダ州を横切り、同州ファロンの西9マイル (14 km) まで

ファロンの西9マイルからカリフォルニア州サクラメントまでは、シエラネバダ山脈を越える2つのルートがあった

シエラネバダ北ルート: アメリカ国道50号線代替路で北西にワズワースに行き、そこから州間高速道路80号線と旧国道40号線で西にドナー峠とシエラネバダ山脈を越え、サクラメントに至る

シエラネバダ南ルート: アメリカ国道50号線で西に向かってタホ湖を回り、エコー・サミットとシエラネバダ山脈を越え、サクラメントに至る


アメリカ国道旧40号線(一部は州間高速道路80号線の下)、サクラメントから南西にセントラルバレーを横切り、バークレーのユニバーシティ・アベニュー出口に至る
(注: 当初のこの部分は後にアメリカ国道50号線となる経路を辿り、サクラメントから南にストックトンを抜け、アルタモント峠を越えてサンフランシスコ湾イーストベイに至ったが(現在の州間高速道路5号線、同205号線、同580号線)、1927年にカルキネス橋が完成したときに修正された)

ユニバーシティ・アベニュー、州間高速道路80号線から西にバークレイ桟橋まで
(注: 1928年では、バークレイ桟橋からサンフランシスコ市ハイド通り桟橋までフェリーでサンフランシスコ湾を渡った。今日では州間高速道路80号線を使ってユニバーシティ・アベニューを降り、1936年に開通したサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジで湾を渡ってサンフランシスコ市に入る。ベイブリッジからはエンバーカデロを北西にウォーターフロントに沿って進み、フィッシャーマンズワーフのハイド通り桟橋に至る)

サンフランシスコ市のハイド通り桟橋から先の経路

ハイド通りを2ブロック南のノースポイント通りまで

ノースポイント通りを西に3ブロック進みバンネス・アベニューまで

バンネス・アベニューを南に16ブロック進み、カリフォルニア通りまで

カリフォルニア通りを西に54ブロック進み、32番アベニューまで

32番アベニューを北に2ブロック進み、カミノデルマーまで

カミノデルマーを西にリンカーンパークに入り、カリフォルニア・パレス・オブ・ザ・レイン・オブ・オナーの正面にあるリンカーン・ハイウェイ西端プラザと噴水に到着する。西端の標識と解説盤がパレスの左、バス停横にある


歴史

リンカーン・ハイウェイはアメリカ合衆国で初めてエイブラハム・リンカーン大統領を全国的に記念したものであり、ワシントンD.C.リンカーン記念館を除幕した1922年に9年先立つものである。アメリカ大陸を横断する最初の自動車道であるリンカーン・ハイウェイは沿線にある数多い市町村に大きな繁栄をもたらした。「アメリカを横切るメインストリート」と愛着を持って呼ばれるようになった。

リンカーン・ハイウェイは「良好道路運動」が起点になった。リンカーン・ハイウェイの成功と、沿線にある自治体、企業、市民にそれがもたらした経済的繁栄は、名前を付けた他の長距離道路の創設に繋がった。それらは総称してナショナル・オート・トレイルと呼ばれ、例えばイエローストーン・トレイル、ナショナル・オールド・トレイルズ道路、ディキシー・ハイウェイ、ジェファーソン・ハイウェイ、バンクヘッド・ハイウェイ、ジャクソン・ハイウェイ、メリディアン・ハイウェイ、ビクトリー・ハイウェイがあった。これら名前付きハイウェイの多くは、1926年制定のアメリカ国道体系に代わっていった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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