リンカーン・トンネル
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リンカーントンネルリンカーントンネルのニュージャージー側坑口
概要
位置 アメリカ合衆国ニュージャージー州ウィホーケン - ニューヨーク市ミッドタウン
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度45分45秒 西経74度00分40秒 / 北緯40.7625度 西経74.0111度 / 40.7625; -74.0111座標: 北緯40度45分45秒 西経74度00分40秒 / 北緯40.7625度 西経74.0111度 / 40.7625; -74.0111
現況供用中
所属路線名 Route 495 (ニュージャージー側)
NY 495 (ニューヨーク側)
交差ハドソン川
運用
完成1934年3月 ? 1937年12月(中央坑道)
1937年?1938年、1941年?1945年(北坑道)
1954年?1957年(南坑道)
開通1937年12月22日 (86年前) (1937-12-22)(中央坑道)
1945年2月1日 (79年前) (1945-02-01)(北坑道)
1957年5月25日 (66年前) (1957-05-25)(南坑道)
所有ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社
管理ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社
通行対象自動車
用途専用道路
通行料金(東行きのみ)2015年10月6日時点、自動車:$15.00(現金)、$12.50(E-ZPass利用ピーク時)、$10.50(E-ZPass利用非ピーク時)
日平均通行量10万8655台(2011年)[1]
技術情報
全長7,482 ft (2,281 m)(北)
8,216 ft (2,504 m)(中央)
8,006 ft (2,440 m)(南)[2]
道路車線数6車線
設計速度35マイル毎時 (56 km/h)[3]
最低部?97フィート (?30 m)[2]
高さ13フィート (4.0 m)[2]
幅21.5フィート (6.6 m)[2]
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ハドソン川水底の経路南坑道が建設中の1955年におけるウィーホーケン側の入口

リンカーントンネル(: Lincoln Tunnel)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ウィホーケンニューヨーク市ミッドタウン間のハドソン川直下を全長約2.4kmにわたって結ぶ3本の水底トンネルの総称。ニューヨーク大都市圏を構成する基幹交通体系の一部で、ノルウェー出身の土木技師オーレ・シングスタッド(英語版)が設計し、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンにちなんで命名された。ホランドトンネルと並んでハドソン川を渡る2本の自動車用水底トンネルの一つである。リンカーントンネルの一日平均自動車通行台数は約10万8000台に達する。

1937年に最初の中央坑道(全長2504m)、続いて1945年に北坑道(全長2281m)、そして1957年に最後となる南坑道(全長2440m)が開通した。

トンネルの所属路線は西半分がニュージャージー州道495号、東半分がニューヨーク州道495号の各一部である。
歴史

計画段階ではミッドタウン自動車トンネルと命名される予定であったが、偉人の名を冠したジョージ・ワシントン・ブリッジの例に倣い、計画担当者によって最終的にエイブラハム・リンカーンにちなんだ名称に決定した[4]

オーレ・シングスタッドによって設計されたこのトンネルは、ニューディール政策の一環で設立された公共工事局(英語版)からの資金を利用している。1934年3月に最初の坑道が着工した[5]。開通は1937年12月22日で、現在の貨幣価値で10.6ドルに相当する0.5ドルの通行料金を徴収していた。建設費は現在の貨幣価値で19.36億ドルに相当する8500万ドルを要している[6]

当初の設計では坑道は2本のみであった。2本目の建設工事は1938年に一旦中止され、1941年に再開しているが、その後も大戦の煽りを受けた金属資材不足により、完成が2年遅れている。1945年2月1日に開通式が行われ、オメロ・カタン(ミスターファーストの異名で知られ、526を超える施設の開業で「最初の人」となった)の兄であるマイケル・カタンが最初にトンネルを通り抜けた一般人となった[7]

交通需要の増大を受け、3本目の坑道の建設がニューヨーク・ニュージャージー港湾公社により提案されるが、増大する交通量に応じた道路整備の財源にすべく、港湾公社を傘下に置こうとしていたニューヨーク市が反対を表明する。最終的に市が妥協する形で、1957年5月25日に3本目の坑道が2つのトンネルの南側に開通した[8]。このため、ニュージャージー側では3本の坑口が1か所で並んでいるのに対し、ニューヨーク側では北坑道の坑口が他の2本より1街区西側、10番街に面した38丁目と39丁目の間にある。

2012年はリンカーントンネルの開通75周年であり、ジャージーシティホランドトンネルの開通85周年にあたる年でもあるため、ホーボーケン歴史博物館(英語版)のメインギャラリーでは「Driving Under the Hudson: The History of the Holland and Lincoln Tunnels」と銘打ち、2つのトンネルの歴史や地域に与えた影響を探る展示を開催した。


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