リンカーン・タウンカー
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リンカーン・タウンカー(アメリカ大統領専用車仕様)

タウンカー (Town Car)は、フォードが製造、リンカーンブランドで販売していた自動車である。
概要リンカーン・コンチネンタル・タウンクーペ(1978年-1979年)

『タウンカー』の名称は1959年のコンチネンタル・マークIVのトップグレードとして登場したのが初出で、その後1980年まで使用されたのち、1981年に独立したモデル名となり、以降リンカーンブランドのフラッグシップモデルの座を務めた。『タウンカー』とはクーペ・ド・ヴィル(英語版)の英訳にあたり、共に1920年代の乗用車によくみられた、馬車にその起源を持つ、運転席部分に屋根やドアを持たないタイプのショーファーカースタイルの事である。

タウンカーの車体サイズはアメリカ製セダンの中でも最大の部類のフルサイズに属する。オイルショック以降、キャデラックやクライスラーなどの競合車種の多くがダウンサイジングと前輪駆動化を敢行した中、フォードは昔ながらのラダーフレーム後輪駆動レイアウトを固持した。このシャシフォード・クラウンビクトリアマーキュリー・グランドマーキーと共用のパンサー・プラットフォーム (Ford Panther platform) と呼ばれるもので、フォードのハイエンド車種で30年以上の長きにわたって使われ続けたが、技術的には決してハイエンドではなく、登場当時ですら旧態化のそしりは免れなかった。重量、ねじり剛性、振動・騒音など、操縦安定性と居住性のすべての面でモノコック構造に対して劣勢となるが、アメリカの保守[注 1] には根強い人気があり、結果的に古き良き時代のアメリカ車の乗り味を後世に伝える存在となっていたほか、フレームと車体が別体であることからストレッチリムジン霊柩車の改造に向いており、そのベース車両としての需要は高い。共和党のジョージ・H・W・ブッシュ政権時代は大統領専用車にもなった。

一方、欧州車日本車を好む顧客(同様に民主党支持者との表現)には、当時フォード傘下であったジャガーがエンジニアリングを担当したDEWプラットフォーム(Ford DEW platform)のLSの需要が高かった。

過酷な業務使用などを想定しており、耐久性や補修の容易性を考慮した設計がなされており、北米では60万km以上営業運転に使われることが多い。なおエンジンに限り、1990年にライバルに先駆けて従来のOHVからSOHCのフォード・モジュラーV8に切り替えている。

この車種の組み立てはフォード・モーターのミシガン州ウィクソム工場で行なわれていたが、2007年にフォードはリストラの一環として同工場を閉鎖、その後はクラウン・ヴィクトリア、グランド・マーキーを生産していたカナダオンタリオ州セントトーマス工場に移管されたが、同工場も2011年8月29日に最後の生産車両がラインオフし操業を終えた。
コンチネンタル・タウンカー
1959年-1960年1959年型 コンチネンタル・マークIV タウンカー フォーマルセダン (214台生産)

1959年、リンカーンは既存のコンチネンタルのラインナップにタウンカーとリムジンという2種のフォーマルセダンを追加した。両車ともピラー付きの構造で、内装にはブロードクロスとスコッチグレインレザー、ディープパイルカーペットを採用した。オプションはなくエアコンなどの装備はすべて標準装備で、リムジンの前席と後席の間にガラス製の仕切りが付いていた。

コンバーチブルを含む他のコンチネンタルで採用されていたリバースラント・ルーフラインの代わりにノッチバック・ルーフラインを採用し、重厚なパッド入りのビニール製トップとインセットのリアウィンドウを備えた。ルーフラインの変更はスタイリングをやや控えめな印象とするのみにとどまらず、後席の足元を広くするため、ホイールベースを変更せずに後席の位置を変更するという機能的な目的もあった。その後、ライバル社のインペリアルとキャデラックもこの動きに追従し、フラッグシップモデル(ルバロンとフリートウッド・シックスティスペシャル)のルーフラインを、よりフォーマルでリムジンのようなデザインに変更した。

この年代のタウンカーは、フォードが生産した車種の中で最も希少なものの一つである[1]。1959年から1960年にかけて214台のタウンカーと83台のリムジンが生産された。ボディカラーはすべて黒であった。
1970年-1979年

1970年、タウンカーの名称がトリムパッケージのオプションとして復活し、レザーシートやより深いカットパイルカーペットなどが用意された[2]1971年にはリンカーン創業50周年を記念した1,500台のコンチネンタル・ゴールデン・アニバーサリー・タウンカーが限定生産された[3]

1972年にはリンカーン・コンチネンタルの派生モデルとしてタウンカーが登場した[4]。標準ではルーフのリア半分がビニール(英語版)で覆われる仕様であったが、オプションで全体をビニールで覆うフルレングス仕様も用意されていた。ルーフ上の盛り上がったモールディングのBピラーにコーチランプを組み込んだ。1973年には2ドアモデルのタウンクーペが登場した。タウンカーと同様にビニールルーフが標準装備された。

1975年のリンカーンのルーフラインの改良の一環として、タウンカーにマークIVクーペの楕円形のオペラウィンドウを採用、タウンクーペには大きな長方形のオペラウィンドウが与えられた。

コンチネンタル・タウンカーは同部門の成功を証明し、マークIVやマークVが社内的にはリンカーンとしてのブランド名ではなかったため、1970年代で最も人気のあるリンカーン車となった[3]

(リンカーン) コンチネンタル・タウンカー: 1970年-1979年

1976年 リンカーン・タウンクーペ (2ドア版)

1978年 リンカーン・コンチネンタル・タウンカー

1979年 リンカーン・コンチネンタル・タウンカー

1977年型リンカーン・コンチネンタル・タウンカーのリアルーフラインのクローズアップ画像

1980年

1980年以降のコンチネンタルはダウンサイジング(英語版)により、北米最大のセダンからキャデラックよりも小さなエクステリアを持つデザインへと移行した。コンチネンタル・タウンカーはリンカーンのモデルレンジのトップトリムとして復活し、マークシリーズ(英語版)もよりダウンサイジングされたコンチネンタルマークVI(英語版)にモデルチェンジした。外観にリンカーンのバッジは付けられていないが、マークVIは開発コストと生産コストを削減するためシャシーとボディの大部分をコンチネンタルと共有していた。

しかし、同一ブランド内にコンチネンタル、コンチネンタル・タウンカー/タウンクーペ、マークVIというポジションが重複する車種が複数存在したことで、販売は伸び悩んだ。1980年初頭に販売不振だったリンカーン・ヴェルサイユ(英語版)の生産が中止されると、リンカーンのラインナップは再びフルサイズモデルのみに戻り、ヨーロッパブランドの高級車ラインナップと比較して明らかに見劣りする状況となった。

1981年、リンカーンはフルサイズモデルのラインナップを1車種に絞り、フォード・モーターの3つの部門全体で複数年にわたる移行を開始した。1981年にはコンチネンタルが休止され1982年にはミッドサイズセダンに変更された。マークVIは1983年にモデルサイクルを終了し、1984年のマークVII(英語版)はフルサイズセグメントから撤退し、マークシリーズは異なるセグメントに移行した。
初代 (1981-1989年)

タウンカー

概要
製造国 アメリカ合衆国
販売期間1981-1989年
ボディ
乗車定員5名
ボディタイプ2/4ドアセダン
駆動方式FR
パワートレイン
エンジン5.0リッター
変速機4速AT
車両寸法
ホイールベース2,980mm
全長5,570mm
全幅1,985mm
全高1.420mm
車両重量1,811kg(2ドア)
1,817-1,869kg(4ドア)
その他
姉妹車フォード・クラウンビクトリア


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