リリー・マルレーン
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この項目では、ドイツの歌謡曲について説明しています。

OVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に登場する架空の巡洋艦については「ザンジバル (ガンダムシリーズ)#ザンジバルII級」をご覧ください。

日本の同人サークルについては「きのはらひかる」をご覧ください。

.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1939年にドイツで録音・発売された「リリー・マルレーン」のレコード

『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に流行したドイツ歌謡曲。ドイツの歌手・女優、ララ・アンデルセン1939年2月に録音したバージョンがヨーロッパ全体でヒットした。

1915年ロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ(Hans Leip)が、ベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に創作した詩集『Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht』(邦題・港の小さな手風琴)に収録されていた詩を原典として、第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ(Norbert Schultze)が曲をつけた。
大戦下での流行

1939年に発売した当初、アンデルセンのレコードは60枚しか売れなかったと言われている。しかし、販売店に山積みになっていた売れ残りのレコードから、店員がドイツ軍の前線慰問用レコード200枚の中に2枚紛れ込ませた。それが1941年の秋に初めて流され、それ以後も放送で繰り返しかけられて人気を得た[1]。もしくは、ベオグラード放送局の職員が、リリー・マルレーンを気に入っていた友人のために放送したとも言われる。

第二次世界大戦下の一時期、21時57分にベオグラードドイツ軍放送局から流れたこの歌に、多くのドイツ兵が戦場で耳を傾けて故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、北アフリカ戦線イギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。

アンデルセンは慰問で人気者になったが、長くは続かなかった。1942年夏、アンデルセンと親しい関係にあったロルフ・リーバーマンがユダヤ人であったことが当局に知られてアンデルセンは歌手活動が禁止され、アンデルセン盤の原盤が廃棄される事態となる。ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の指示により「リリー・マルレーン」のタイトルとメロディ自体は残され、別バージョンが作られた。
歌詞

歌詞の内容は、戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌ったものである。
ドイツ語詞
Vor der Kaserne vor dem grosen TorStand eine LaterneUnd steht sie noch davorSo wollen wir da uns wiedersehnBei der Laterne wollen wir stehenWie einst Lili Marleen Wie einst Lili MarleenUnsre beiden Schatten sahen wie einer aus;Dass wir so lieb uns hattenDas sah man gleich darausUnd alle Leute sollen es sehenWenn wir bei der Laterne stehenWie einst Lili Marleen Wie einst Lili MarleenSchon rief der Posten: Sie bliesen Zapfenstreich;Es kann drei Tage kostenKam'rad, ich komm ja gleichDa sagten wir auf WiedersehnWie gerne wurd' ich mit dir gehnMit dir Lili Marleen Mit dir Lili MarleenDeine Schritte kennt sieDeinen schonen GangAller Abend brennt sie Doch mich vergas sie langUnd sollte mir eine Leids geschehnWer wird bei der Laterne stehnMit dir Lili Marleen? Mit dir Lili Marleen?Aus dem stillen RaumeAus der Erde GrundHebt mich wie im Traume dein verliebter MundWenn sich die spaten Nebel drehenWerd' ich bei der Laterne stehenWie einst Lili Marleen Wie einst Lili Marleen
略訳
兵営の前、門の向かいに街灯が立っていたね今もあるのなら、そこで会おうまた街灯のそばで会おうよ昔みたいに リリー・マルレーン俺たち2人の影が、1つになってた俺たち本当に愛しあっていたひと目見ればわかるほどまた会えたなら、あの頃みたいにリリー・マルレーンもう門限の時間がやってきた「ラッパが鳴っているぞ、遅れたら営倉3日だ」「わかりました、すぐ行きます」だから俺たちお別れを言った君と一緒にいるべきだったのかリリー・マルレーンもう長いあいだ見ていない毎晩聞いていた、君の靴の音やってくる君の姿俺にツキがなく、もしものことがあったならあの街灯のそばに、誰が立つんだろう誰が君と一緒にいるんだろうたまの静かな時には 君の口元を思い出すんだ夜霧が渦を巻く晩にはあの街灯の下に立っているから昔みたいに リリー・マルレーン
映画「:de:Lili Marleen (Film)」を参照

アンデルセンの生涯を題材にしたドイツ映画『リリー・マルレーン』が1981年に製作・公開された。

監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

主演:ハンナ・シグラジャンカルロ・ジャンニーニ

カバー

女性歌手によって歌われることが多い。日本でのカバーについては後述する。

ベルリン出身の女優、マレーネ・ディートリヒの持ち歌としても知られている。第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、アメリカ市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問し、この歌を歌った。そのため、ディートリヒはドイツで敵側の人間(反逆者)と見なされ、ドイツでは戦後も不人気となった。

日本での流行

文藝春秋1974年5月号の鈴木明の記事「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」(のち1975年に『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』の題で文藝春秋社から単行本化)がきっかけとなり、1975年に後述の日本語カバーのヒットや、ディートリヒ版のリバイバルヒットが生まれた[2]東芝EMI EMR-10761)。アンデルセン版のシングル盤も同年に再発売されている(ポリドール DP1985)。
日本でのカバー

多数の歌手によりカバーされて歌い継がれているが、訳者の異なる数種類の日本語版がある。特に片桐和子による訳詞が原語に忠実である。
レコード

上記鈴木の記事を読んで同曲をカバーしたいと熱望した
梓みちよは、1975年に『あかいサルビア』のカップリング曲として片桐和子版の訳詞を歌唱した。片桐版の訳詩では他に森山良子クミコ元ちとせがカバーしている。

加藤登紀子は上記のリバイバルヒットを受け、1975年に自身の訳詞によるシングルを発売した。加藤版の訳詩では他に佐々木秀実佐良直美飯島真理麻実れいがカバーしている。

他に安井かずみ訳詞のものを木の実ナナが、なかにし礼訳詞のものを佐久間良子戸川昌子美川憲一が、小谷夏(久世光彦の筆名)訳詞のものを倍賞千恵子淡谷のり子がカバーしている。

鮫島有美子は原語でカバーしている。

放送での歌唱

1974年のテレビドラマ『
寺内貫太郎一家』第18話のラストで、寺内周平(西城秀樹演)と相馬ミヨコ(浅田美代子演)が小谷夏版の訳詞をデュエットで歌う場面がある(小谷こと久世は本作のプロデューサーである)。この回では、寺内貫太郎(小林亜星演)と娘の静江(梶芽衣子演)が演じるエンディングシーンでも、原語コーラス版がBGMに使われた。

1975年にシングルを発表した梓みちよは、同年12月31日第26回NHK紅白歌合戦で本曲を歌った。

2008年のテレビアニメ『ストライクウィッチーズ』のキャラクター、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケを演じる声優の田中理恵が、キャラクターとして「リリー・マルレーン STRIKE WITCHES ver.」を歌った[3]。訳詞は鈴木貴昭

その他

森繁久彌が司会、向田邦子が脚本を担当したトーク番組『森繁の重役読本』(TBSラジオ文化放送、1962年 - 1969年)のテーマ曲として、行進曲風にアレンジされたインストゥルメンタルが使われた。


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