リョート・マチダ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はカルヴァーリョ、第二姓(父方の姓)はマチダです。

リョート・マチダ
2011年
本名リョート・カルヴァーリョ・マチダ
(Lyoto Carvalho Machida)
生年月日 (1978-05-30) 1978年5月30日(45歳)
出身地 ブラジル
バイーア州サルヴァドール
通称ザ・ドラゴン
(The Dragon)
居住 アメリカ合衆国カリフォルニア州パロス・ベルデス
国籍 ブラジル
身長185 cm (6 ft 1 in)
体重84 kg (185 lb)
階級ライトヘビー級
ミドル級
リーチ190 cm (75 in)
スタイル松濤館流空手
ムエタイ
相撲
ブラジリアン柔術
スタンスサウスポー
拠点 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡
チーム猪木事務所
→チーム・イノキ
ブラック・ハウス
キングスMMA /グレイシー柔術アカデミー
師匠町田嘉三
アントニオ猪木
ヴァリッジ・イズマイウ
ランク松濤館流空手 (黒帯三段)
ブラジリアン柔術 (黒帯)
現役期間2003年 -

総合格闘技記録
試合数38
勝利26
ノックアウト11
タップアウト2
判定13
敗戦12
ノックアウト4
タップアウト2
判定6
子供2人
著名な親族町田嘉三 (父親)
シンゾー・マチダ (兄)
ウェブサイトhttps://lyotomachida.net/
総合格闘技記録 - SHERDOG
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リョート・マチダ(Lyoto Machida、1978年5月30日 - )は、ブラジルの男子総合格闘家日系ブラジル人二世バイーア州サルヴァドール出身。カリフォルニア州ロサンゼルス郡在住。キングスMMA所属。元UFC世界ライトヘビー級王者。日本でのリングネームはLYOTO。2008年
来歴

日本から22歳の時にブラジルへ移民した空手家の父親・町田嘉三[注 1]とユダヤ系ブラジル人の母親[1]との間に4人兄弟の三男[注 2]として生まれる。兄弟全員が空手の選手という格闘一家に生まれ育った。

アマゾン川河口の町パラー州ベレンに空手道場を開いた父の下で3歳から稽古し、8歳から相撲、16歳からブラジリアン柔術ボクシングを始めた。空手では2度のブラジル王者、南アメリカ選手権での準優勝などの実績を持つ[2][注 3]ほか、ブラジル相撲選手権準優勝など様々な格闘技大会で勝利を重ねた。

アントニオ猪木の実兄がサンパウロ市に開設した空手道場の師範を父が1年ほど務めた縁から2000年に猪木にスカウトされ、新日本プロレスロサンゼルス道場で6か月間中邑真輔ブライアン・ダニエルソンとトレーニングを積んだ。

2003年5月2日、新日本プロレス東京ドームで開催した総合格闘技大会「アルティメット・クラッシュ」でプロ総合格闘技デビュー。謙吾と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後、リングサイドで観戦していたアントニオ猪木から祝福を受けるとともに、拳骨で制裁を受けた。

2003年9月13日、アントニオ猪木がブラジルのマナウスで主催したJungle Fight 1にてステファン・ボナーと対戦し、TKO勝ち。

2003年12月31日、神戸ウイングスタジアムで開催されたINOKI BOM-BA-YE 2003ではそれまで総合格闘技無敗であったリッチ・フランクリンに打撃の連打でKO勝ちを収めた。

2004年3月14日、K-1 BEAST 2004にてマイケル・マクドナルドと総合格闘技ルールで対戦し、前腕チョーク(K-1の公式記録はギロチンチョーク)で一本勝ち。続く5月22日のK-1 ROMANEXではサム・グレコと総合格闘技ルールで対戦し、2-1の判定勝ち。

2005年3月26日、HERO'SBJ・ペンと対戦し、3-0で判定勝ち。自身より体重が14.5kg軽いBJとの異質な試合であった。

2006年5月26日、グラップリング大会L.A.SUB-X第1回大会でハファエル・ロバト・ジュニアと対戦。1、2Rで決着が付かなかったため2度延長ラウンドを行ないテイクダウンポイント1点を奪い、ポイント1-0で判定勝ち。

2006年7月22日、ライトヘビー級転向初戦となったWFAでヴァーノン・"タイガー"・ホワイトと対戦、3-0の判定勝ち。ほどなくWFAがUFCに買収されたため、そのままUFCへ移籍することとなる。
UFC

2007年2月3日、UFC初出場となったUFC 67でサム・ホーガーと対戦し、3-0の判定勝ち。UFCは白星スタートとなった。同年9月22日、UFC 76中村和裕と対戦し、3-0の判定勝ち[3]。12月29日のUFC 79ではソクジュと対戦し、2Rに肩固めで一本勝ちを収めた[4]

2008年5月24日、UFC 84ティト・オーティズと対戦し、レスラーのティトのテイクダウンを全て防ぎ、1Rには逆にテイクダウンを奪った。3Rにはボディーへの膝蹴りでダウンを奪い、パウンドと肘打ちの追撃でフィニッシュしようとしたところに三角絞めを極められそうになるが、3-0の判定勝ちを収めた[5]

2009年1月31日、UFC 94チアゴ・シウバと対戦し、1R終了間際にスクートからの飛び込みパウンドで失神KO勝ち[6]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
UFC世界王座獲得

2009年5月23日、UFC 98のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者ラシャド・エヴァンスに挑戦。UFC史上初めての無敗同士が対戦するタイトルマッチとなった試合を、2Rに左フックで失神KO勝ちを収め[7]、王座獲得に成功すると同時に2試合連続のノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後のインタビューでは「Karate is back!!(空手が復活したぜ!)」と雄叫びをあげて、自身のバックボーンである空手への誇りを言葉にした。


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