この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "リュミエール兄弟"
オーギュスト・リュミエール
フランス、リヨンの病院にて
生誕1862年10月19日
ブザンソン
死没1954年4月10日
国籍フランス
職業発明家
著名な実績映画の発明
親戚ルイ(弟)
テンプレートを表示
リュミエール兄弟(freres Lumiere、リュミエールきょうだい)は、トーマス・エジソンと並び称せられるフランスの映画発明者。「映画の父」と呼ばれる。世界初の実用カラー写真の開発者でもある。 父・アントワーヌ(1840年3月13日 - 1911年)はもともと肖像画家だったが、ダゲレオタイプを手にしてから写真館を開業していた。1881年に弟・ルイは父の仕事を手伝い始め、感光剤や写真乾板(ガラス乾板)の研究・改良を行った。ルイの研究が評判になったので、アントワーヌはリヨンに写真乾板の工場を開設。さらに、1890年頃にルイが開発した乾板感光剤「エチケット・ブルー(青ラベル)」が大ヒットした。 ルイ・リュミエール 1894年、パリでアントワーヌはエジソンの開発したキネトスコープを目の当たりにした。父の勧めで兄弟は動画の研究を開始。キネトスコープを改良しスクリーンに投影することによって、一度に多くの人々が鑑賞できるシネマトグラフ・リュミエールを開発した。フィルムの長さは17メートルで、手で回すことで撮影・上映でき、映像は約50秒になる。 当時、義手や義足、写真機材等の製造を営んでいた二人は、自らの工場の近辺等で撮影を行い、1895年12月28日、パリのグラン・カフェ地階のサロン・ナンディアン(=インドの間)(現ホテル・スクリーブ・パリ)で、その映像などを人々に有料公開(世界初の映画館ともされる)した。この中で、世界最初の実写映画は『工場の出口』である。また『ラ・シオタ駅への列車の到着』では、カメラに向かってくる汽車を見て観客が大騒ぎしたという伝説を産んだ(これについては異説もある。詳細は作品の項目を参照)。二人は1900年に開催されたパリ万博でも映画を上映しており、来場した世界中の人々を魅了している。一方で、リュミエール協会を立ち上げ世界中にカメラマンを派遣、日本を含む世界各地の最初期の映像を多く残した。
兄弟
兄:オーギュスト・リュミエール(Auguste Marie Louis Lumiere 、1862年10月19日 - 1954年4月10日)
弟:ルイ・リュミエール(Louis Jean Lumiere 、1864年10月5日 - 1948年6月6日)
来歴
生誕1864年10月5日
ブザンソン
死没1948年6月6日
国籍フランス
職業発明家
著名な実績映画の発明
親戚オーギュスト(兄)
テンプレートを表示