リュック・ベッソン
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リュック・ベッソン
Luc Besson
2016年7月サンディエゴでのコミコン・インターナショナルにて
生年月日 (1959-03-18) 1959年3月18日(65歳)
出生地パリ
国籍 フランス
職業映画監督
脚本家
映画プロデューサー
活動期間1981年 - 現在
配偶者アンヌ・パリロー(1986 - 1991)
マイウェン(1993 - 1997)
ミラ・ジョヴォヴィッチ(1997 - 1999)
ヴィルジニー・シラ(2004 - )
主な作品
監督
グラン・ブルー
ニキータ
レオン
フィフス・エレメント
ジャンヌ・ダルク
LUCY/ルーシー』製作
ニル・バイ・マウス
TAXi』シリーズ
WASABI
キス・オブ・ザ・ドラゴン
トランスポーター』シリーズ
アルティメット
ヒットマン
96時間』シリーズ
コロンビアーナ

 受賞
英国アカデミー賞
英国作品賞
1998年『ニル・バイ・マウス
セザール賞
監督賞
1998年『フィフス・エレメント
その他の賞

備考
第53回カンヌ国際映画祭 審査委員長(2000年)
第15回東京国際映画祭 審査委員長(2002年)
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リュック・ポール・モーリス・ベッソン(仏:Luc Paul Maurice Besson、1959年3月18日 - )は、フランス映画監督脚本家映画プロデューサーである。映画製作会社ヨーロッパ・コープ(EuropaCorp)社長。代表作は『レオン』である。

ベッソンは同年代にデビューしたジャン=ジャック・ベネックスレオス・カラックスとともに「恐るべき子供たち」(ジャン・コクトー同名小説と映画からの命名)「BBC」[1]と呼ばれ、ヌーヴェル・ヴァーグ以後のフランス映画界に「新しい波」をもたらした。日本でも「ニュー・フレンチ・アクション・シネマ」として紹介され、カルト的な人気を誇っている。
人物

幼少期から異彩を放ち、特に思春期には類いまれな独創性を発揮して周囲を驚かせた[要出典]。暇つぶしに書き始めた小説は後に『フィフス・エレメント』の作品世界として活かされている[2]

両親はともにスキューバダイビングのインストラクターであり、ベッソン自身もダイバーとして過ごしたが、17歳のときに潜水事故に遭いスキューバダイビングができなくなった[3]。18歳のとき故郷のパリに戻り[3]、そこで映画の雑用的な仕事をこなして映画製作のノウハウを学んだ。その後3年間アメリカへ移住、さらにフランスに戻って自身の映画製作会社を興した。後に会社はLes Films de Dauphins(イルカ映画社)と改名し、現在に至っている[3]

1980年代に作曲家のエリック・セラに出会い、自身初のショートフィルムである L'Avant dernier の構成を依頼[4]。それ以後ベッソンとセラはバンド仲間として、そして最も重要な創作上のパートナーとして数々の作品を共に手がけることになる。

ニキータ』の主演女優アンヌ・パリローと結婚していたが、作品完成後には離婚していた。1993年1月2日に女優マイウェン・ル・ベスコと結婚し、1女をもうけたが離婚。1997年11月14日、女優のミラ・ジョヴォヴィッチと結婚したが、後に離婚[5]2004年8月18日に映画プロデューサーのヴィルジニー・シラとの結婚しており、現在3人の子がある。

1999年の『ジャンヌ・ダルク』以降はプロデュース業や脚本執筆を中心に活動。しかしショートフィルムに関しては演出を手がけることもあり、日本車の宣伝用フィルムや2012年夏季オリンピック候補地であったパリのプレゼンテーション用のビデオも製作している。

2001年1月にヨーロッパ・コープを立ち上げた。また、同年9月にアスミック・エースエンタテインメント角川書店住友商事、シネマゲートと共同出資して日本法人ヨーロッパ・コープ ジャパンを設立した。

監督業についてはかねてから10作品程度で引退することを公言しており、2006年9月には『アーサーとミニモイの不思議な国』三部作をもって監督業を引退することを発表。同作の日本公開に伴うPR活動で2007年6月に来日した際も引退を宣言した[6][7]。しかし、2010年公開の『アデル/ファラオと復活の秘薬』では再び監督を務め、プロモーション中のインタビューにて引退宣言を撤回した。

作風は『レオン』『ニキータ』のようなハードボイルド・アクションから『フィフス・エレメント』のような明朗快活な冒険活劇、『ジャンヌ・ダルク』のような独自の解釈による歴史巨編まで幅広いが、他国ではB級アクションとして宣伝された製作脚本作品『WASABI』『キス・オブ・ザ・ドラゴン』が、日本では『レオン』のようなハードな作品であるかのような宣伝がなされたこともあった。なお、『レオン』『ニキータ』のような暴力的な作風は当時フランスで起こったバブル経済へのアンチテーゼとして描かれたもので、2008年以降の世界的な不況下においては、誰にでも気軽に楽しめる愉快な作品を目指している[8]

女性を主人公にしたり、女性を物語の軸にすることが多く、彼自身女性について「特徴の違うお互いに必要な相手として認め合うべき」と語っている。
主な作品
監督作品

年題名備考
1981最後から2番目の男
L'avant dernier短編
1983
最後の戦い
Le Dernier combat
1984サブウェイ
Subway
1988グラン・ブルー
Le Grand bleu
1990ニキータ
Nikita
1991アトランティス
Atlantis
1994レオン
Leon
1997フィフス・エレメント
The Fifth Element
1999ジャンヌ・ダルク
The Messenger: The Story of Joan of Arc
2005アンジェラ


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