リビア飛行禁止空域
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リビアへの軍事攻撃
2011年リビア内戦

軍事基地と攻撃拠点の一覧

時2011年3月19日 - 2011年10月31日
場所リビア
現況廃止

衝突した勢力

NATO

 ベルギー

 ブルガリア

 カナダ

 デンマーク

 フランス

 ギリシャ

 イタリア

 オランダ

 ノルウェー

 ルーマニア

 スペイン

 トルコ

 イギリス

 アメリカ

 カタール

 スウェーデン

 アラブ首長国連邦

リビア

リビア空軍

民兵

外国人傭兵

指揮官

エドゥアール・ギヨー海軍大将
サー・スチュアート・ピーチ空軍中将
カーター・ハム陸軍大将
サミュエル・ロックリア海軍大将
アンドレ・デシャン中将 ムアンマル・カッザーフィー司令官
被害者数
アメリカ空軍 F-15E 1機墜落 (パイロット両名は生存)[1]

戦車、装甲車、テクニカル、対空ミサイル車・運搬車両、他車両合わせて1492両軍需施設350対空ミサイルシステム、対空砲535複数の航空機が損壊司令部、他施設412発射基地16無数の兵士[2]
民間人の犠牲者数は不明*
*リビア政府は64?90人の民間人が死亡し150人が負傷したと主張。[3]アメリカ軍は否定。[4]

リビア飛行禁止空域(リビアひこうきんしくういき、英語:Libyan no-fly zone)は、2011年3月17日国際連合安全保障理事会(国連安保理)で承認された軍事行動。リビア内戦反政府勢力に対して空爆を仕掛けるムアンマル・アル=カッザーフィー大佐(カダフィ大佐)に忠誠を誓う軍部隊などの攻勢を阻止するために提案された[5]。8月下旬にカダフィ政権は崩壊し、10月末に新たに採択された安保理決議により同年10月31日をもって飛行禁止区域は解除された[6]。なお同戦闘におけるアメリカ合衆国の作戦名はオデッセイの夜明け作戦イギリスエラミー作戦フランスはアルマッタン作戦(英語版)、カナダモバイル作戦北大西洋条約機構ユニファイド・プロテクター作戦である。
概要

3月12日アラブ連盟国際連合安全保障理事会に対し、リビア上空に飛行禁止空域を設定するよう要請を行った[7]。この要請を受けて3月15日、レバノン[8]のナワーフ・サラーム国連大使は、イギリスフランスの支持を得てリビア上空に飛行禁止空域を設定することや国際的な軍事介入を容認する旨を盛り込んだ決議案を上程[9]、同決議案は2日後の3月17日の理事会での採決の結果、賛成10票・反対0票・棄権5票の賛成多数で採択された。この採択された決議案が、今回の軍事介入の根拠である「安保理決議1973」である。安保理では、常任理事国5カ国のうち1カ国でも反対すると決議はできないことになっているが、今回は当初軍事介入に消極的・反対の姿勢を示していたアメリカが賛成に回ったほか、同じく否定的だったロシア中国が棄権に回ったことで採択が実現した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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