リビア・マルタ大陸棚事件
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境界線が争われた海域の衛星写真。NASA撮影。

リビア・マルタ大陸棚事件(リビア・マルタたいりくだなじけん、英語:Case concerning the Continental Shelf between Libya and Malta、フランス語:Affaire du plateau continental entre Libye et Malte)は、大陸棚の境界画定をめぐりリビアマルタの間で争われた国際紛争である[1]。1973年より中間線を境界線とすべきと主張するマルタと、全ての関連事情を考慮に入れて合意による境界画定を行うべきと主張するリビアとの間で見解の相違があったが[1]、1985年に国際司法裁判所(ICJ)は中間線を北側に緯度18分移動させた線を境界線とする判決を下し[2]、両国はこの判決に従い1986年に大陸棚の境界画定に関して合意に至った[3]
経緯

1969年にデンマークオランダ西ドイツ間の大陸棚境界画定について争われた北海大陸棚事件では、大陸棚の境界は中間線とすべきとの主張をICJは退けた上で、大陸棚の境界画定のための唯一義務的な方法は存在しないとし、境界画定は領土の自然の延長である大陸棚ができるだけ各国に多く割り当てられるような方法で、合意によって行われるべきとの判決が下された[4]。つまりここでは大陸棚条約第6条に定められた等距離中間線による方法は境界画定のための唯一で義務的な方法ではないとされたのである[4]。1973年から1982年まで行われた第三次国連海洋法会議では、大陸棚の境界画定を等距離中間線によるべきとする諸国(等距離中間線派)と、等距離中間線では海岸線の地形によっては不衡平な結果を生みだすと主張した諸国(衡平原則派)との間で激しい対立があった[4]。この会議の結果採択された国連海洋法条約第83条第1項では結局、等距離中間線派の立場も衡平原則派も採用しない以下のような規定がおかれた[4]。向かい合つているか又は隣接している海岸を有する国の間における大陸棚の境界画定は、衡平な解決を達成するために、国際司法裁判所規程第38条に規定する国際法に基づいて合意により行う。 ? 国連海洋法条約第83条第1項[5]

上記に言及される国際司法裁判所規程第38条とは、条約慣習国際法をさす[4]。国連海洋法条約では新たに排他的経済水域の制度が設けられ[6]、排他的経済水域の境界画定に関しても以下のように大陸棚の境界画定に関する規定とほぼ同様の内容の規定がおかれた[4]。向かい合っているか又は隣接している海岸を有する国の間における排他的経済水域の境界画定は、衡平な解決を達成するために、国際司法裁判所規程第三十八条に規定する国際法に基づいて合意により行う。 ? 国連海洋法条約第74条第1項[5]

この国連海洋法条約は1982年にマルタが、1984年にはリビアも署名した[7]。リビア・マルタ大陸棚事件ICJ判決は、この条約が採択された後に初めて下されたICJの判決である[8]

マルタイタリアシチリア島の南約43海里リビアの北約183海里に位置する島国である[1]。マルタは1965年にリビアに対し両国に属する大陸棚の境界線を中間線とすることを提案し、翌年にマルタは境界線を中間線とする国内法を制定したが、1973年になってリビアはこの中間線による境界画定に異議を唱えた[9]。1976年、両国はこの大陸棚の境界に関する紛争を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを定めた合意協定に署名し、1982年7月19日に紛争はICJに付託された[1]。両国の協定第1条にはICJへの付託内容について具体的には以下のように定められた。マルタとリビアに属する大陸棚区域の境界画定に適用される国際法の原則と規則は何か。また、(中略)両当事国が協定によってこの区域の境界を困難なく画定するために、この原則と規則は実際にどのように適用されるか。 ? 1976年リビア-マルタ間合意協定第1条[10]
裁判
各国の主張

リビアの主張
大陸棚の境界画定は、衡平な結果を達成するために、すべての関連事情を考慮に入れて合意によって行われるべきである[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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