リバティ島
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リバティ島
現地名 Liberty Island

所在地アッパー・ニューヨーク湾
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度41分20秒 西経74度02分40秒 / 北緯40.68889度 西経74.04444度 / 40.68889; -74.04444座標: 北緯40度41分20秒 西経74度02分40秒 / 北緯40.68889度 西経74.04444度 / 40.68889; -74.04444
面積14.717エーカー (59,560 m2)
管理者アメリカ合衆国国立公園局

アメリカ合衆国国家歴史登録財
登録名: en:Statue of Liberty National Monument, Ellis Island and Liberty Island
登録日1966年10月15日[1]
登録コード66000058

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ニューヨーク港におけるリバティ島
1.リバティ島、2.エリス島

リバティ島(Liberty Island)は、アメリカ合衆国アッパー・ニューヨーク湾にある島である。この島には自由の女神像が設置している。旧称はベドロー島 (Bedloe's Island) 。
概要

1956年アメリカ合衆国議会の決議によって公式に「リバティ島」という名称になった。しかし、「リバティ島」という名称自体は20世紀前半から既に使われていた。

リバティ島は連邦政府の領土で、国立公園局が管理を担当している。マンハッタンバッテリーパークや、ニュージャージー州ジャージーシティリバティ州立公園からフェリーでこの島に来ることができる。リバティ州立公園から約600メートルの距離にある。一方バッテリーパークからは約2.6キロメートル離れており、ジャージーシティの方がニューヨークよりもリバティ島に近い。また隣接するエリス島からはおよそ1.6キロメートルの距離にある。島を取り囲む水域はジャージーシティに、島自体の行政区はマンハッタンに属するニューヨーク市の飛び地となっている。

国勢調査局によると、リバティ島の面積は5万9558平方メートル(14.717エーカー)である。

1937年にフランクリン・ルーズベルト大統領の告示第2250号 (proclamation 2250) によって、この島は自由の女神ナショナル・モニュメント (en) に登録され、1966年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカ沿岸警備隊に24時間態勢で警備されている。
歴史

ヨーロッパ人がハドソン川河口に入植してきた17世紀、アッパー・ニューヨーク湾の西部には干潟がいくつかあり、レナペ族カキの採取場となっていた。満ち潮時にも海に沈まない島がいくつかあり、そのうち三つの島(現在のエリス島、リバティ島、およびブラック・トム島)は、ニューネーデルランドの入植者たちにオイスター島 (英:Oyster Islands, 蘭:oester eilanden) と名付けられた。特に、リバティ島はグレート・オイスター島、エリス島はリトル・オイスター島と呼ばれた。以降ほぼ3世紀に渡ってこのあたりでカキが豊富に獲れたが、20世紀に入ると道路建設工事で生じた土砂で海岸線を埋め立てたため、カキの漁場は消滅した。

1664年にオランダフォート・アムステルダムイギリスによって陥落した後、ニューヨーク植民地知事リチャード・ニコルズはこの島をCaptain Robert Needhamに与えた。1667年12月23日、この島はIsaac Bedlowへと売却され、さらに1732年にはニューヨークの商人Adolphe PhilipseとHenry Laneに5シリングで売却された。これらの所有者が移る間、ニューヨーク市はこの島に天然痘検疫所を一時設けた。

1746年、Archibald Kennedyはこの島を買収し、夏の別荘を設けた。1753年の広告には、この島がレンタル可能であることが記述されている("Bedlow's"の表記が"Bedloe's"となっている)。1756年、Kennedyはこの島に再び天然痘検疫所を設ける許可を出し、1758年2月18日には Corporation of the City of New Yorkがこの島をペスト施設として利用するため£1000で買収した。アメリカ独立戦争へとつながるイギリス軍によるニューヨーク港の占領時に、トーリー党の避難者たちがこの島に住みついた。1776年4月2日、これらの家はすべて焼き払われた。

1800年2月15日、ニューヨーク州議会はこの島(およびエリス島とガバナーズ島)を連邦政府に譲渡した。これは軍事要塞として用いるためであった。この島の11の角(堡塁を形成している)を持つ星型の城壁は1806年に着工し1811年に竣工した。米英戦争の後、1813年のエリー砦包囲戦で命を落としたen:Eleazer D. Woodの名前を取り、この要塞はフォート・ウッド (Fort Wood) と名付けられた。


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