このページ名「リバイバル (1883年)」は暫定的なものです。(2012年11月)
リバイバル (1883年)では、1883年(明治16年)から1884年(明治17年)にかけて日本のプロテスタント教会で起こったリバイバル(信仰覚醒:しんこうかくせい)について記述する。 1883年(明治16年)、横浜海岸教会の初週祈祷会でJ・H・バラ宣教師が自分が見た夢を告白した。それは、羊の危機にもかかわらず眠れる牧者の夢であった。バラは伝道者としての責任感に打たれて、自分の悔い改めを告白した。これをきっかけに、初週祈祷会のために集まった数人の船員の信徒が、リバイバル(信仰覚醒)を経験した。彼らを通して、横浜の諸教会やミッションスクールに広がっていった。リバイバルが横浜から東京の諸教会、青山学院に、そして地方に広がっていった。「六合雑誌」もこのリバイバルを取り上げている 1883年5月8日より12日まで東京築地の新栄教会で行われた第三回全国基督教信徒大親睦会に出席した日本中のプロテスタント教会の指導者により、リバイバルは関東地方に広がり、翌1884年(明治17年)には京都の同志社に広がった。1月から初週祈祷会が留まらず、学校全体が霊的に覚醒して3月16日にピークを迎えた。同志社では約200名が一挙に洗礼を受けた。 さらに、このリバイバルは押川方義らの仙台や日本各地に広がり、日本のプロテスタント教会は飛躍的に成長した。 このリバイバルの結果、「リバイバル」ということばが日本のキリスト教用語の中に定着した。1886年(明治19年)の一致教会と組合教会の合同運動の原動力になった。 ウェールズ・メソジスト・リバイバル(1762) - ハウゲ運動(1796) - ウェールズ・リバイバル(1904-1905) - アズサ・リバイバル(1906-1909) - 第一次大覚醒(1730-1750) - 第二次大覚醒(1800-1830) - 第三次大覚醒(1880-1900) - 第四次大覚醒(1960-1970) 明治大リバイバル
歴史
影響
脚注
参考文献
中村敏『日本のキリスト教宣教史』いのちのことば社、2009年
小野静雄『日本プロテスタント教会史』聖恵授産所出版部、1986年
歴
プロテスタント信仰復興運動(リバイバル)
キリスト教史
欧米
アジア
ウィリアム・ウィリアムズ - ハンス・ニールセン・ハウゲ - ジョナサン・エドワーズ - トマス・キャンベル - アレグザンダー・キャンベル - バートン・ストーン - チャールズ・フィニー - ドワイト・ムーディー - ジョナサン・ゴーフォース - ビリー・グラハム - 中田重治 - 堀貞一
関連項目
ヤジロウ - ザビエル来日(1549年)- 鹿児島のベルナルド- 籠手田安経 - ロレンソ了斎 - 大内義隆 - キリシタン大名 - 大村純忠 - 有馬晴信 - 高山右近 - 大友義鎮 - 細川ガラシャ - 天正遣欧少年使節(1582年) - バテレン追放令(1587年) - サン=フェリペ号事件(1596年) - 日本二十六聖人(1597年) - キリシタン版 - ドチリナ・キリシタン
江戸時代
慶長遣欧使節(1613年) - 禁教令(1612年・1613年) - 元和の大殉教(1622年) - 聖トマス西と15殉教者(1633年 - 1637年) - 八重山キリシタン事件(1634年) - 島原の乱(1637年) - 郡崩れ(1657年) - 豊後崩れ(1660年) - 濃尾崩れ(1661年) - 浦上一番崩れ(1790年) - 天草崩れ(1805年) - 浦上二番崩れ(1842年) - 浦上三番崩れ(1856年) - 隠れキリシタン - 転びキリシタン - 踏み絵 - 宗門改
幕末・明治時代
ベルナール・プティジャン - 大浦天主堂 - 浦上四番崩れ(1867年) - 高木仙右衛門 - 五島崩れ(1868年)
大正・昭和初期
上智大生靖国神社参拝拒否事件(1932年) - 奄美カトリック迫害(1933年) - 祖国に対する信者のつとめ(1936年)