リティー・パニュ
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リティ・パニュ
Rithy Panh
ドルビー・シアターにて
生年月日 (1964-04-18) 1964年4月18日(54歳)
出生地プノンペン
国籍 カンボジア
活動期間1989年 -

 受賞
カンヌ国際映画祭
ある視点
2013年消えた画 クメール・ルージュの真実
ヨーロッパ映画賞
ドキュメンタリー賞
2003年 『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』
2007年 『紙は余燼を包めない』
その他の賞

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リティ・パニュ (Rithy Panh, クメール語:????? ??????, 1964年4月18日 - ) は、カンボジア映画監督ドキュメンタリー映画を中心に製作している。なお氏名表記について本項目をはじめ、日本語表記として「リティ・パニュ」が使用されてきたが、原語発音との違いを本人が嫌ったため、2014年冬の来日以来、作品表記や公式の行事等では、原語に近い「リティ・パン」が使われることも多い。
目次

1 来歴

2 作品

3 参考文献

4 外部リンク

来歴

1964年4月18日カンボジアの首都プノンペンで生まれる。父親は教師[1]1975年からカンボジアを支配し始めたポル・ポト率いるクメール・ルージュが行った大粛清によって両親や親族を亡くすが、自身は1979年タイへの避難に成功し[2]、しばらくは難民キャンプでの生活を送る。その後、フランスに移住し、専門学校で大工仕事を学ぶが、映画製作に興味を持つようになり[3]パリ高等映画学院に入学する。

その後、ドキュメンタリー映画監督として活動を始めたパニュは、1989年に第1作『サイト2:国境周辺にて』を発表。翌1990年には11年ぶりにカンボジアに帰国した。その後もパリを拠点に作品を製作し続け、1994年に発表した初の劇映画『Neak sre (ネアック・スラエ)』は第47回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され[4]1998年の劇映画2作目『戦争の後の美しい夕べ』も第51回カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映された[5]

2003年トゥール・スレン刑務所 (通称S21)の元看守と囚人を描いたドキュメンタリー『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』を発表。ヨーロッパ映画賞ドキュメンタリー賞など多数の賞を受賞した。その後も『アンコールの人々』(2004年)、『紙は余燼を包めない』(2007年)などのドキュメンタリー映画を多数発表。また、ルネ・クレマン監督が1957年に映画化したマルグリット・デュラスの『太平洋の防波堤』をイザベル・ユペールギャスパー・ウリエルを起用して再映画化した『Un barrage contre le Pacifique (太平洋の防波堤)』(2008年)や大江健三郎の『飼育』の舞台をカンボジアに置き換えて映画化した『飼育』(2011年)など、近年は文学作品を原作とした劇映画の製作も行っている。

2013年、パニュ自身の記憶でもあるクメール・ルージュが行った虐殺を土人形を使って描いた『消えた画 クメール・ルージュの真実』を発表。第66回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され[6]、同部門のグランプリを受賞した[7]。また、第86回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた[8][9]
作品

サイト2:国境周辺にて
Site 2 (1989年) ドキュメンタリー

Souleymane Cisse (1990年) ドキュメンタリー。テレビシリーズ『Cinema, de notre temps』の一篇

Cambodia, entre guerre et paix (1991年) ドキュメンタリー

Neak sre (1994年)

La prothese (1996年) テレビシリーズ『Lumiere sur un massacre』の一篇

ボファナ、カンボジアの悲劇 Bophana, une tragedie cambodgienne (1996年) ドキュメンタリー

戦争の後の美しい夕べ Un soir apres la guerre (1998年)

さすらうものたちの地 La terre des ames errantes (2000年) ドキュメンタリー


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