リッペ郡
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:デトモルト行政管区
地域連合:ヴェストファーレン=リッペ地域連合
郡庁所在地:デトモルト
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度56分10秒 東経08度50分52秒 / 北緯51.93611度 東経8.84778度 / 51.93611; 8.84778座標: 北緯51度56分10秒 東経08度50分52秒 / 北緯51.93611度 東経8.84778度 / 51.93611; 8.84778
面積:1,246.19 km2
人口:

346,151人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:278 人/km2
ナンバープレート:LIP
自治体コード:

05 7 66
郡の構成:16 市町村
行政庁舎の住所:Felix-Fechenbach-Strase 5
32756 Detmold
ウェブサイト:www.kreis-lippe.de
郡長:アクセル・レーマン (Axel Lehmann)
州内の位置

地図

リッペ郡 (ドイツ語: Kreis Lippe) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区(地理上のオストヴェストファーレン=リッペと同一地区)に属す郡である。郡庁所在地はデトモルトである。郡域はかつてのリッペ侯国とほぼ一致する。ヴェストファーレンラインラント北部に加えてリッペがノルトライン=ヴェストファーレン州を構成している。歴史上、リッペの地名の元となったリッペ川は本郡を流れていない。
地理
隣接する郡および市

リッペ郡は、北はヘルフォルト郡およびミンデン=リュベッケ郡、東はニーダーザクセン州シャウムブルク郡ハーメルン=ピルモント郡およびホルツミンデン郡、南はヘクスター郡およびパーダーボルン郡、西はギュータースロー郡およびビーレフェルト市と境を接している。
歴史

本郡は、古くは神聖ローマ帝国領、後にはリッペ侯国を形成していた。12世紀に初めてリッペ家(ドイツ語版)がここに支配地を築いていたことが文献に記録されており、1529年に帝国1789年帝国諸侯に昇格した。リッペは1815年ドイツ連邦に加わり、1871年から1945年まではドイツ国を構成する州に、1918年からは自由州となった。1932年に行政単位としてデトモルト郡とレムゴー郡が形成され、1934年にそれまで郡独立市であったデトモルトレムゴーもこれに編入された。

1947年1月21日にリッペ自由州は、イギリス占領軍の軍事令 No. 77 によってノルトライン=ヴェストファーレン州と統合された。この際ミンデン行政管区とリッペ行政管区から新たにデトモルトを本部所在地とするミンデン=リッペ行政管区(1947年4月1日、同年6月2日からデトモルト行政管区)が創設された。ノルトライン=ヴェストファーレン州の州議会が1948年11月5日に可決した法令(いわゆるリッペ仮協定を発展させたもの)、すなわちリッペ州をノルトライン=ヴェストファーレン州に併合する法令が1949年に発効した。これとは別にリッペ地域連合が形成された。リッペローデとカペルはリップシュタット郡に編入された。

1969年1970年にレムゴー郡(1969年1月1日、レムゴー法による)とデトモルト郡(1970年1月1日、デトモルト法による)で新たな自治体が成立した。かつて186あったリッペの市町村から16市町村が創設された。リュクデ市とハルツベルクおよびケムペン=フェルドロムの町はデトモルト郡に、リッペの飛び地であったグレーフェンハーゲンはヘクスター郡に編入された。1973年、それまでのレムゴー郡とデトモルト郡から新たにリッペ郡を創設するビーレフェルト法が成立した。その郡庁所在地はデトモルトに置かれた。

リッペ郡の郡域は、かつての所領/伯領/侯国および州としてのリッペとほぼ一致しており、約 900年の歴史を引き継いでいる。
行政
上級郡行政長官

1973年1月1日 - 1973年6月30日: ヘルムート・クリューガー(委任された上級郡長)

1973年7月1日 - 1985年7月14日: ヒルマール・ロッツ

1985年7月15日 - 1993年7月14日: ウード=パウル・ハーゼ

1993年7月15日 - 1999年9月30日: ヘルムート・カウター

1999年10月1日に自治体制度改革によって、専任の上級郡行政長官と名誉職の郡長が統合された。このため、1999年10月1日以降上級郡行政長官は存在しない。
郡長

1973年 - 1985年: ハインツ・ヴェーゲナー (
SPD)

1985年 - 1990年: ハンス・ブッデ (SPD)

1991年 - 1999年: ハンス・ポール (SPD)

1999年 - 2015年: フリーデル・ホイヴィンケル (CDU)

2015年 - : アクセル・レーマン (CDU)

郡議会

2020年9月13日に行われた郡議会選挙に基づく議席配分を以下に示す[2]

ドイツ社会民主党 (SPD) 18議席

ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 17議席

同盟90/緑の党 (Grune) 12議席

自由民主党 (FDP) 4議席

AfD 3議席

左翼党 2議席

Bundesverband der Freien Wahler 2議席

Aufbruch C 2議席

紋章、旗、幟リッペ郡の旗

本郡の紋章は銀(白)地に、金色(黄色)の蘂と金色(黄色)の萼を持つ赤い5弁のバラ(リッペのバラ)が描かれている。

1973年に自治体の地域再編で創設されたリッペ郡は1973年7月17日に認可を得て、紋章にリッペのバラを使っている。歴史上、バラは何世紀も前からリッペ領主家、リッペ伯家、リッペ侯国、ジッペ自由州の紋章の意匠であった。デトモルト郡とレムゴー郡とが合併して以降、リッペ郡の郡域は基本的にリッペ州と同一であった。こうした8世紀以上に及ぶ異例に長続きした歴史を背景に、新しい郡の紋章にリッペのバラを使おうという企画が興るのは自然なことであった。16本の金の雄蘂は新しい郡に属す市町村を象徴している。

本郡は、長軸方向に黄色と赤に塗り分けられた地に旗竿寄りに郡の紋章が描かれた旗と、長軸方向に黄色と赤に塗り分けられた地の上部に郡の紋章が描かれた幟を使用している。

(郡の基本条例[3] § 2)
社会資本と経済デトモルト音楽大学
大学

リッペ郡の大学都市はデトモルトとレムゴーである。デトモルトには音楽大学がある。レムゴーにはオストヴェストファーレン=リッペ大学の本部がある。この大学はデトモルト以外のリッペ郡内や、リッペ郡外のヘクスターやヴァルブルクにもキャンパスを有している。

ホルン=バート・マインベルクには大学学生・OBのためのヨーロッパセンター・オストヴェストファーレン=リッペがある。レムゴーのオストヴェストファーレン=リッペ大学内にある工業 IT センター (CIIT)
大学を除く研究機関

大学を除く研究機関としては、デトモルトにマックス=ループナー研究所の「穀物の安全と品質研究所」があり、レムゴーにはフラウンホーファー研究機構の工業オートメーション応用研究所 (IOSB-INA) がある。フラウンホーファー応用研究所が入居している建物は、オストヴェストファーレン=リッペ大学のレムゴー・キャンパス内にあり、指定管理者制度の枠組みで個人投資家によって建設された。ここでの研究は、ITを基盤としたオートメーションに重心が置かれている。
教育、研究・調査、文化の奨励

教育、研究・調査、文化の奨励のためにリッペ郡は2001年にリッペ郡シュタンドルトジッヘルングが創設した。リッペ地域連合もこの地域で奨励活動を行っている。
交通
飛行場と空港

エルリングハウゼン飛行場は、大きなグライダー飛行場で、小型のエンジン飛行機も離着陸可能である。この他に、もう一つの地域飛行場デトモルト飛行場がある。ブロムベルクの近くにはブロムベルク=ボルクハウゼン飛行場がある。

郡外の最寄りの空港は、ビーレフェルトとパーダーボルン近郊(後者は国際空港である)にある。


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