リットン調査団
[Wikipedia|▼Menu]

この項目では、日本昭和時代に派遣された調査団について説明しています。吉本興業所属のお笑いコンビについては「リットン調査団 (お笑いコンビ)」をご覧ください。
中華民国上海に到着した国際連盟日支紛争調査委員会調査団一行

リットン調査団(リットンちょうさだん、Lytton Commission)は、国際連盟に設置された調査委員会(正式名称 : 国際連盟日支紛争調査委員会)の通称である。委員長(団長)はイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットン目次

1 概要

1.1 調査団派遣の経緯

1.2 調査団の構成

1.3 調査団の旅程


2 報告書の内容

2.1 結論

2.2 紛争解決に向けた提言


3 報告書への各国の反応

4 その後

5 脚注

6 参考文献

7 文献情報

8 関連項目

9 外部リンク

概要
調査団派遣の経緯 柳条湖付近での満鉄の爆破地点を調査しているリットン調査団。 溥儀

1931年9月18日 柳条湖事件が発生し、中華民国国民党政府は、9月19日国際連盟に報告し、9月21日正式に提訴して事実関係の調査を求めた。

1931年12月10日 国際連盟理事会(以下、「理事会」と表記する。)は「国際連盟日支紛争調査委員会」(リットン調査団)(以下、「調査団」と表記する。)の設置を決議する[1]1932年1月14日、理事会は、リットンら5委員任命を承認した。1932年2月29日、調査団は東京に着いた。日本、中国および満州の調査をおこない、7月4日ふたたび入京した[2]

1932年3月、国際連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、調査団は3カ月にわたり日本、満州、支那の各地を調査。10月に理事会に報告書(リットン報告書)を提出した。10月1日、日本政府に報告書を通達し、10月2日に外務省は公表した[3]
調査団の構成

<委員>は下記の5名[4]

リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットン(イギリス):枢密顧問官・元イギリス領インド帝国臨時総督(ベンガル総督)

アンリ・クローデル(フランス語版)陸軍中将フランス): フランス植民地軍総監

ヴィアーノ伯爵ルイージ・アルドロバンディ・マレスコッティ(イタリア語版)(イタリア): 外交官

ハインリッヒ・シュネー博士ドイツ): 国会議員・元ドイツ領東アフリカ総督


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef