リッチモンド
市
Richmond
マディソン郡庁舎、復員軍人の日のため半旗(2007年)
愛称: ケンタッキー最良の故郷
標語: "働く都市"
マディソン郡内の位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}リッチモンドマディソン郡内の位置アメリカ合衆国の地図を表示リッチモンドリッチモンド (ケンタッキー州)ケンタッキー州の地図を表示
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度44分41秒 西経84度17分37秒 / 北緯37.74472度 西経84.29361度 / 37.74472; -84.29361
リッチモンド(英: Richmond)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州のマディソン郡にある都市。同郡の郡庁所在地である[2]。人口は3万4585人(2020年)。東ケンタッキー大学がある学園都市。州間高速道路75号線に沿ってレキシントン市からテネシー州ノックスビルの間では最大の都市である。ケンタッキ州南中部では雇用とショッピングの中心になっている。マディソン郡とロックキャッスル郡で構成されるリッチモンド・ベリア都市圏の主要都市である。市名はバージニア州のリッチモンドから採られた。 リッチモンド市は1798年に、アメリカ独立戦争の軍人ジョン・ミラー大佐によって設立された。伝承に拠れば、ミラーは良い泉水が出たことと友好的なインディアンが居たことで、この地域に惹きつけられた。同年、ケンタッキー州議会が郡庁所在地をミルフォードからミラー大佐の所有していた土地に移すことを承認した。ミルフォード住人はこの移動に断固として反対し、デイブ・ケネディ(ミルフォード代表)とウィリアム・カーリー(リッチモンド代表)の最初の戦いになった。それでも1798年3月に郡が移動を承認した。同年7月4日、新しい町はミラーの生誕地バージニア州リッチモンドにちなんでリッチモンドと名付けられた[3]。 南北戦争中の1862年8月30日、北軍と南軍がリッチモンドの戦いで衝突した。エドマンド・カービー・スミス将軍が率いる南軍が、ウィリアム・ブル・ネルソン将軍の率いる北軍を潰走させた。ネルソン隊6,500名のうち、1,200名のみが逃亡でき、残りは捕まえられた[4]。ある歴史家は「この戦争全体で北軍であれ南軍であれ、どの将軍が成し遂げたよりも、カルタゴ軍が、ローマの大軍を包囲殲滅したカンナエの戦いに匹敵するものを成し遂げた」戦闘だと記した[5]。 1906年、東ケンタッキー師範学校がリッチモンドに設立され、教師を養成した。1909年に卒業したのは11人だった。1922年に4年制カレッジになり、1935年には大学院ができた。1965年、東ケンタッキー大学と改名された[6]。 1990年代後半から21世紀最初の10年間で、リッチモンドは商業と住宅のブームになった。2010年時点の人口でケンタッキー州内第7位の都市であり、2000年の第11から4つランクを上げた[7]。 リッチモンド交通サービスが市内のバス便を運行しており、料金は1日1ドル、10日で7ドルである。市内のバス便に加えて、ベリアからリッチモンドと、レキシントンからリッチモンドの間で通勤バス路線を運行している。 市内をシンシナティ・サザン鉄道が通っている。1880年にシンシナティ、レキシントン、ノックスビル、チャタヌーガを結んだものであり、2014年じてんではノーフォーク・サザン鉄道の一部になっている[8]。 リッチモンド市は北緯37度44分41秒 西経84度17分37秒 / 北緯37.74472度 西経84.29361度 / 37.74472; -84.29361 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は19.2平方マイル (50 km2)であり、このうち陸地19.1平方マイル (49 km2)、水域は0.1平方マイル (0.26 km2)で水域率は0.73%である リッチモンド市のある地域は、暑く湿気た夏と、概して温暖から冷涼な冬が特徴である。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)である[10]。
歴史
交通
公共交通機関
州間高速道路
州間高速道路、北のレキシントンとオハイオ州シンシナティ、南のテネシー州ノックスビルに通じている。市内には出口が3つある
アメリカ国道
アメリカ国道25号線、レキシントン道路、メインストリート、ベリア道路とも呼ばれる
アメリカ国道421号線、リッチモンド市内では国道25号線と合流している。バトルフィールド・メモリアル・ハイウェイとも呼ばれる
ケンタッキー州道
ケンタッキー州道169号線、テイツクリーク道路とも呼ばれる。北のレキシントンに向かう。フェリーでケンタッキー川を越え、ファイエット郡に入る
ケンタッキー州道52号線、東のエスティル郡に向かうときはアーバイン道路とも呼ばれ、西のゲアリド郡に向かうときはランカスター道路とも呼ばれる。
ケンタッキー州道876号線、東部バイパス、またドクター・ロバート・マーティン・バイパスとも呼ばれ、リッチモンドを周回する環状線になっている。
鉄道
地理
気候
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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