リッチモンド公
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リッチモンド公爵(第4期)
Duke of Richmond
レノックス公爵
ゴードン公爵

紋章記述Arms:Quarterly: 1st and 4th grand quarters, the Royal Arms of Charles II (viz. quarterly: 1st and 4th, France and England quarterly; 2nd, Scotland; 3rd, Ireland); the whole within a Bordure company Argent charged with Roses Gules barbed and seeded proper and the last; overall an Escutcheon Gules charged with three Buckles Or (the Dukedom of Aubigny); 2nd grand quarter, Argent a Saltire engrailed Gules between four Roses of the second barbed and seeded proper (Lennox); 3rd grand quarter, quarterly, 1st, Azure three Boars' Heads couped Or (Gordon); 2nd, Or three Lions' Heads erased Gules (Badenoch); 3rd, Or three Crescents within a Double Tressure flory counter-flory Gules (Seton); 4th, Azure three Cinquefoils Argent (Fraser) Crests:1st, a Bull's Head erased Sable horned Or; 2nd, on a Chapeau Gules turned up Ermine a Lion statant guardant Or crowned with a Ducal Coronet Gules and gorged with a Collar company of four pieces Argent charged with eight Roses Gules and the last; 3rd, out of a Ducal Coronet a Stag's Head affrontee proper attired with ten Tynes Or Supporters:Dexter: an Unicorn Argent armed, crined and unguled Or; Sinister: an Antelope Argent, also armed, crined and unguled Or, each supporter gorged with a Collar company as the crest
創設時期1675年8月9日
創設者チャールズ2世
貴族イングランド貴族
初代初代公チャールズ・レノックス
現所有者11代公チャールズ・ゴードン=レノックス(英語版)
付随称号下記を参照。
現況存続
邸宅グッドウッド・ハウス(英語版)
モットーOver the 1st crest, Avant Darnlie;
over the 2nd crest, En La Rose Je Fleuris;
and over the 3rd crest, Bydand

リッチモンド公爵(英語: Duke of Richmond)は、イングランド貴族公爵位。

4回創設されており、現存する第4期のリッチモンド公爵位はイングランドチャールズ2世の非嫡出子チャールズ・レノックス1675年に叙されたのに始まり、以降その子孫のレノックス家(後にゴードン=レノックス家と改称)によって代々世襲されている。同家はスコットランド貴族爵位レノックス公爵連合王国貴族ゴードン公爵、フランス貴族爵位オウビーニュイ公爵(フランス語版)を併せ持っている。法定推定相続人は従属爵位の一つマーチ伯爵儀礼称号として称する。
歴史

リッチモンド公爵位は4回創設されている。いずれもイングランド貴族の爵位である。現存するのは第4期のリッチモンド公爵位である。
1期 - 3期

1525年ヘンリー8世の非嫡出子ヘンリー・フィッツロイ (1519?1536) がサマセット公爵位やノッティンガム伯爵位とともに授与されたのが最初の創設だが、彼には子供がなかったので一代で絶えている[1]

二期目は、第2代レノックス公爵スコットランド貴族)ルドヴィック・ステュワート(英語版)(1574-1624) が1623年5月17日に授与されたのにはじまる。しかし男子後継者を残せなかったため、やはり一代で絶えた[2]

一方レノックス公爵位はルドヴィックの弟エスメ(英語版)(1579-1624) に継承されたが、彼は継承後すぐに死去し、その長男であるジェイムズ (1612-1655) が第4代レノックス公爵位を継承した。このジェイムズに1641年8月8日にリッチモンド公爵位が与えられたのが3期目の創設である[3]。しかし3代目のチャールズ(英語版)(1639-1672) を最後に継承者が途絶え、レノックス公爵位をはじめとする他の爵位ともども消滅した[4]
4期レノックス家グッドウッド・ハウス(英語版)をバックに立つ第9代リッチモンド公爵フレデリック・ゴードン=レノックス

フランスルイ14世がイングランドの宮廷にスパイとして送り込んだ女官ルイーズ・ケルアイユ (1649-1734) はイングランド王チャールズ2世の御手付きとなり、その間に非嫡出子チャールズ・レノックス (1672-1723) を儲けた。このチャールズが1675年8月9日に3歳にしてリッチモンド公爵に叙されたのが現在まで続く4期目のリッチモンド公爵位の創設である。彼は直後の同年9月9日にスコットランド貴族爵位レノックス公爵位も与えられ、またチャールズの母ルイーズも1684年1月にフランス貴族爵位オウビーニュイ公爵(フランス語版)を与えられたので、レノックス家はリッチモンド、レノックス、オウビーニュイの3つの公爵位を継承する家柄となる[5]。父チャールズ2世から寵愛を受けた初代公爵は経済面でも優遇され、タイン (Tyne) 産出の石炭の出荷量に応じた終身賦課金を受ける権利を与えられ、将来までの財政基盤を確保した。役職面でも主馬頭(英語版)などを与えられていた。晩年にはウェスト・サセックス・グッドウッド (Goodwood) に屋敷(英語版)と所領を構えた[6]

2代公爵チャールズ (1701-1750) は襲爵前に陸軍軍人や庶民院議員を務めた。爵位継承後はジョージ1世ジョージ2世の侍従を務めた。また領地に動物園を創設したことでも知られる[7]

3代公爵チャールズ (1735-1806) は陸軍元帥まで昇進した軍人であるとともに貴族院議員として議会政治に積極的に参加し、王室費の無駄遣いを追及したり、選挙法改正による選挙権の拡大や選挙権を18歳に引き下げる改革を熱心に訴えたが、こうした主張は当時は過激思想と看做されていたので「社会主義者」と呼ばれて政界で忌み嫌われたという[8]。政界以外の活動では1801年にグッドウッド競馬場を創設している[9]

4代公爵チャールズ (1764-1819) も陸軍軍人として活躍しながらトーリー党の議員として議会で活躍した。1789年の摂政法改正問題の際には摂政の権限を制限すべきことを訴えて国王ジョージ3世の次男であるヨーク公フレデリックと対立を深めて決闘に及んでいる(両者とも大きな怪我はなかった)[10]。その後、1818年に英国領北アメリカ(カナダ)総督になっているが、その翌年にセント・ローレンス川狂犬病にかまれて恐水病となり病死している[11]

5代公爵チャールズ(英語版)(1791-1860) も襲爵前には陸軍軍人を務め、爵位継承後にはホイッグ党の議員として政界で活躍し、1830年から1834年のホイッグ党政権で郵政長官(英語版)を務めている[12]。また競馬では襲爵前の1812年にグッドウッドカップの創設を主導した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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