リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道
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リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道
Richmond, Fredericksburg and Potomac Railroad
報告記号RFP
路線範囲バージニア州
運行1836年–1991年
後継CSXトランスポーテーション
軌間1,435 mm標準軌
本社バージニア州リッチモンド
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リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道(リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマックてつどう、英語: Richmond, Fredericksburg and Potomac Railroad、報告記号はRFP)は、アメリカ合衆国でかつて、バージニア州リッチモンドワシントンD.C.を結ぶ鉄道を営業していた鉄道事業者である。1991年に合併によりCSXトランスポーテーションの一部となった。

リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道は、全長約113マイル(約180 km)の路線を持つ連絡鉄道で、「北と南を結ぶ」(Linking North & South) をスローガンとしていた[1]。会社が存在していた期間の大半において、リッチモンドにおいてチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道アトランティック・コースト・ライン鉄道シーボード・エア・ライン鉄道と連絡していた。またアレクサンドリアおよびそこから線路使用権によりワシントンD.C.のユニオン駅において、ペンシルバニア鉄道ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道サザン鉄道と連絡していた。またポトマック操車場(英語版)においてワシントン・アンド・オールド・ドミニオン鉄道(英語版)と接続し、ドズウェル(英語版)においてもチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道と接続していた。
歴史リッチモンドを出発するリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の列車、1865年

リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道は、リッチモンドから北へフレデリックスバーグを経由してポトマック川までの路線特許を1834年2月25日に取得した。リッチモンドからヘイゼル・ラン (Hazel Run) まで1836年に、フレデリックスバーグまでは1837年1月23日に開業し、ポトマック川沿いのアキア・クリーク(英語版)までの残りの区間は1842年9月30日に開業した。ワシントンD.C.へ結びボルチモア・アンド・オハイオ鉄道に連絡する汽船がワシントン・アンド・フレデリックスバーグ汽船 (Washington and Fredericksburg Steamboat Company) により運行され、のちにポトマック汽船(英語版)と改称し、1845年からはリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の傘下に入った[2]

1870年10月11日[3]、会社の臨時株主総会において、クアンティコ(英語版)までさらに北進することが承認された。会社の保有する路線特許はこの支線の全長を10マイルに限っており、アレクサンドリア・アンド・フレデリックスバーグ鉄道 (Alexandria and Fredericksburg Railroad) へつなぐには1.7マイル不足であった。この支線は既存路線からブルック(英語版)で分岐し、北へやはりポトマック川沿いにあるクアンティコまでを結んでいた。アキア・クリークの桟橋へ通じる旧線は、クアンティコの桟橋へ通じる路線が開通した1872年5月1日に廃止となった[4]

この路線の対岸では、アレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道 (Alexandria and Washington Railroad) が1854年2月27日にポトマック川に架かる14番通り橋(英語版)の南端から南へアレクサンドリアまでの建設を行う路線特許を得た。この路線は1857年に開通した。1887年7月9日にこの鉄道は経営破綻し売却されて、1887年11月23日にアレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道 (Alexandria and Washington Railway) として再編された。1873年にボルチモア・アンド・ポトマック鉄道(英語版)の14番通り橋を通る支線が開通し、アレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道が取得した線路通行権によりワシントンD.C.までの経路が通じることになった。

アレクサンドリア・アンド・フレデリックスバーグ鉄道 (Alexandria and Fredericksburg Railway) は、路線をさらにアレクサンドリアからフレデリックスバーグまで延長するために1864年2月3日に路線特許を得た。この路線は1872年7月2日に開通し、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の北端であるクアンティコへ接近した。クアンティコでは、1.7マイル(約2.7 km)のポトマック鉄道 (Potomac Railroad) が1867年4月21日に特許を得て、1872年5月1日に開通して2つの鉄道を連絡した。この路線は1877年5月17日から28年間、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道へリースされた。1890年3月31日、アレクサンドリアへ乗り入れる2社は合併してワシントン・サザン鉄道 (Washington Southern Railway) となった。1901年11月1日まで、この鉄道はボルチモア・アンド・ポトマック鉄道およびその後継のフィラデルフィア・ボルチモア・アンド・ワシントン鉄道(英語版)によって運営された。ポトマック鉄道のリースは1904年6月30日付でワシントン・サザン鉄道へ移管された。1920年2月24日、ワシントン・サザン鉄道は公式にリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道に合併された。

リッチモンド-ワシントンカンパニー (Richmond-Washington Company) は1901年9月5日にこれら2社の株式すべてを所有する持株会社として設立された。この会社の株式はペンシルバニア鉄道、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道、アトランティック・コースト・ライン鉄道、サザン鉄道、シーボード・エア・ライン鉄道、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道が等分で所有した。このうちの4社が現在のCSXトランスポーテーションになっていることから、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道もCSXトランスポーテーションの一部となった。旧サザン鉄道は現在ノーフォーク・サザン鉄道の一部であり、旧リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道区間は使用していない。また旧ペンシルバニア鉄道はCSXトランスポーテーションとノーフォーク・サザン鉄道で分割されている。

1902年から1908年にかけて本線の主要部分が合計21マイル(約34 km)にわたって線路の移設が行われた。
歴代社長一覧

歴代社長を以下に示す[5]

ジョン・ランカスター (John A. Lancaster): 1834年 - 1836年

コンウェイ・ロビンソン (Conway Robinson): 1836年 - 1838年

ジョゼフ・シェパード (Joseph M. Sheppard): 1836年 - 1840年

モンキュア・ロビンソン(英語版): 1840年 - 1847年

エドウィン・ロビンソン (Edwin Robinson): 1847年 - 1860年

ピーター・ダニエル (Peter V. Daniel, Jr.): 1860年 - 1871年

ジョン・ロビンソン (John M. Robinson): 1871年 - 1878年

ロバート・オウルド (Robert Ould): 1878年 - 1881年

ジョゼフ・ブリントン (Joseph P. Brinton): 1881年 - 1889年

E.D.T.マイヤーズ (E. D. T. Myers): 1889年 - 1905年

ウィリアム・リーク (William J. Leake):|1905年 - 1907年

ウィリアム・ホワイト (William White): 1907年 - 1920年[6]

エッパ・ハントン (Eppa Hunton, Jr.): 1920年 - 1932年

ノーマン・コール (Norman Call): 1932年 - 1955年

ウィリアム・ライス (William T. Rice): 1955年 - 1957年[7]

ワート・マークス (Wirt P. Marks, Jr.): 1957年 - 1960年

スチュアート・シューメイト (Stuart Shumate): 1961年 - 1981年[8]

ジョン・ニューバウアー (John J. Newbauer, Jr.): 1981年 - 1985年

リチャード・ビードレス (Richard L. Beadles): 1985年 - 1986年

フランク・クロボ (Frank A. Crovo, Jr.): 1986年 - 1991年

支線
リッチモンド連絡線 (Richmond Connection)
リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック・アンド・リッチモンド・アンド・ピーターズバーグ鉄道連絡線 (Richmond, Fredericksburg and Potomac and Richmond and Petersburg Railroad Connection) は、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道とリッチモンド・アンド・ピーターズバーグ鉄道
(英語版)(のちのアトランティック・コースト・ライン鉄道の一部)の連絡線として、リッチモンドの市街地の西側で、1866年3月3日に路線特許を受けて1867年5月1日に開通した。2社の共同運営であった。また、ブロード・ストリート駅(英語版)までの市街地連絡線もリッチモンド・アンド・ピーターズバーグ鉄道によって所有されていた。
ルイーザ鉄道 (Louisa Railroad)
ルイーザ鉄道(英語版)は1836年に路線特許を受け、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道のドズウェルから西へルイーザ(英語版)までを結んでいる。リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の支線として運営されていたが、1850年にバージニア・セントラル鉄道(英語版)として再構成され、1868年にチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道へ合併した。
ロスリン線 (Rosslyn)
北端からロスリン(英語版)へ至る短い支線で、1896年に開通し、1903年にフィラデルフィア・ボルチモア・アンド・ワシントン鉄道傘下のロスリン・コネクティング鉄道 (Rosslyn Connecting Railroad) へ売却された。


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