リッケンバッカー
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この項目では、楽器メーカーについて説明しています。その他の用法については「リッケンバッカー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

リッケンバッカー・インターナショナル・
コーポレーション
Rickenbacker International Corporation略称RIC社
本社所在地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンタ・アナ
設立1931年
業種製造業:その他製品
事業内容ギターおよび関連製品の製造
代表者フランシス・C・ホール
関係する人物アドルフ・リッケンバッカー(創業者)
外部リンク ⇒www.rickenbacker-jp.com
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リッケンバッカー・330(JG)とヴォックスアンプエレクトリックベースのリア・ピックアップに多く採用されているホースシュー・ピックアップ

リッケンバッカー(リッケンバッカー・インターナショナル・コーポレーション、Rickenbacker International Corporation、RIC社)はアメリカ合衆国楽器メーカー。主にエレクトリックギターを主力製品として、アコースティックギターストラップなどを製造している。日本の代理店は、山野楽器(2013年2月1日 -)同年1月31日までは新星堂
特徴

同社のエレクトリックギターの特徴は、大きめのダブルカッタウェイに、ヘッド部にRickenbackerロゴ入りの大きなトラスロッドカバーを設け、ボディ部のピックガードにも大きな独特な形状のものが設けられている。また、ブリッジ付近にはシャープな切れ込みが入っている。ネックは3つの角材を接着した3ピースで、ヘッドはさらに耳を接いだ5ピース構造。

ピックアップは、シングルコイル(325シリーズ等で使用、俗称:トースターピックアップ)やハムバッカー(650シリーズで使用)の他、ハイゲインと呼ばれる自社製ピックアップを製造している。これは、セミアコモデルの300シリーズやソリッドモデルの620(共に12弦含む)で使用されている。また、インレイ(ポジションマーク)は一般的に最も多いドットと、トライアングルと呼ばれる三角形状の自社製インレイがある。これは、360、381、620、660(12弦含む)といったデラックスモデルとして位置付けられたモデルで使用されている。

一部のモデルにはステレオ・アウトプットとモノラル・アウトプットの両方が装着されており、リック=O-サウンドという専用の機器でステレオ出力が可能。ステレオ使用時でもモノラル・ジャックは有効なため、モノラルも同時に出力可能。

1932年に発表されたフライングパンは、一般に発売された最初のエレクトリック・ギターである。外注のボディにピックアップを組み込んだ、エレクトリック・スパニッシュ・ギターも同年発売。自社製のエレクトリック・スパニッシュ・ギターは、1935年に発売。エレキベースとエレクトリック・ヴァイオリン12弦ギターも、世界初の発売。

12弦モデルのネック幅とヘッド形状は通常の6弦仕様のものとほぼ同じとなっており、他メーカーの12弦モデルに比べ扱いやすい。ストリングポストは通常の6弦と同じヘッドに対して垂直なものを6個に加え、クラシックギターのようにスロットを開けてヘッドに対して水平に付くものを6個とを組み合わせており、これもリッケンバッカー特有のものとなっている。ただし、クラシックギターのようにヘッドを完全にくり貫くのでは無く、ヘッドの半分程度しかくり貫かれていない。
歴史フライングパンの製図。プロトタイプは木製であった

1931年ロサンゼルスにおいて、元ナショナル・ストリング・インストゥルメント・コーポレーション(National String Instrument Corporation)のジョージ・ビーチャムらが母体となりロー・パット・イン・コーポレーション (ElectRo-Patent-Instruments Corporation) が電気楽器アンプの製造を目的に設立され、1934年にエレクトロ・ストリング・インストゥルメント・コーポレーション (Electro String Instruments Corporation) と社名を変更。

1932年、世界初の商品化されたエレクトリック・ハワイアン(ラップスティール)ギター「フライングパン」を発表し、世間に広く受け入れられた。但し発売年に売れた本数は、10数本のラップスティールと5本に満たないスパニッシュギターという記録があるので、すぐに受け入れられたわけではないようである。

当時の製品群のボディーは木材ではなく、アルミニウムダイカストベークライトで作られていた。これは、創始者の1人アドルフ・リッケンバッカードイツ系)が金物工場を既に経営しており、これらの設備を使って製作できたためである。逆に言えば、自社で木工をする設備は持っていなかった。

アドルフの遠縁で、撃墜王として有名だったエディー・リッケンバッカーの知名度を利用するため、ブランド名として「リッケンバッカー・エレクトロ」を使用した。

1953年フェンダー・エレクトリック・インストゥルメンツ社の販売代理店だった、ラジオ&テレビジョン・イクイップメント社の経営者のF・C・ホールが、リッケンバッカーを買収。

ラジオ&テレ社はフェンダー商品を全米に広げた原動力となったが、同年、同社のセールス・マネージャーだったドン・ランドールを社長として設立されたフェンダー・セールス社にフェンダー商品の販売は移行されることになる。両社の関係は1955年まで続くも、F・C・ホールによるリッケンバッカーの買収は、フェンダーとの関係が切れた後の楽器ビジネスを考えてのことのように思える。実際、その後リッケンバッカーは、ラジオ&テレ社の販売網を使って全米に売り出された。

この頃、ドイツ出身のギター職人ロジャー・ロスマイズルが入社し、現在にも繋がる多くのエレクトリック・スパニッシュ・ギターのモデルが彼の手により生まれ、既に時代遅れとなっていたラップスティール・ギターに代わり主力商品となっていった。ロスマイズルは後にフェンダーに移り、コロナド等のアコースティックボディーのギターや、ビートルズの映画「レット・イット・ビー」でジョージ・ハリスンに使用されたオールローズのテレキャスターなどを製造する。

1960年代は、ビートルズのジョン・レノンモデル325(6弦、12弦)を、ジョージ・ハリスンモデル360/1212弦ギター)モデル425(6弦ギター)、ポール・マッカートニーモデル4001S(4弦ベース・ギター)などを使用した影響で、ギブソンやフェンダーなどの大手メーカーを凌ぐ人気を誇った。

1970年代に入ると、モデル4001はイエスクリス・スクワイアディープ・パープルロジャー・グローヴァーザ・ジャムのブルース・フォクストンなどが使用した影響で、主にイギリスのハードロックヘヴィメタルやニュー・ウェイヴ系のバンドなどに幅広く使われるようになった。
補足

モズライト社を設立したセミー・モズレーも一時期在籍していた。ゼロフレットを打ち込むなど、独自の仕様を持つギターを勝手に作っていたために解雇されることになるが、これがモズライトを設立するきっかけとなる。同時期に工場に居たクラフツマン、ロジャー・ロスマイズルにギター製作の指導を仰いでいた。「Combo」シリーズや381モデルなどに見られるボディトップのカーブを「ジャーマン・カーブ」と呼ぶ。これは、ロスマイズルがドイツ人だったため。モズライトにも同様のカーブが見られる。また、モズライトのホロウボディギター「Combo」のボディ構造も、リッケンバッカーと同様にボディ材を裏側からくり抜き、裏側から蓋をする形で構成するという構成も、リッケンバッカーに倣っている。

1960年代、ロンドンの楽器商ローズ・モーリス社がイギリスの輸入代理店となり、同社のオーダーでアメリカ国内の仕様と異なるギターが多くイギリスに輸出された。サウンド・ホールがfホールになり、ポジションマーカーがドットに変えられた物が多い。これらにはローズ・モーリス独自の4桁のモデル番号が付けられていた。たとえばジョン・エントウィッスル、 ピート・クウェイフ、ドノヴァン、クリス・スクワイヤが最初に入手し、後にポール・マッカートニーが演奏していたベースはヨーロッパ仕様のモデル1999である。これと同じ仕様のものはアメリカで入手できなかったが、後にモデル4001Sとして本国でも発売されることとなった。

すべてアメリカ製であるが、イギリス製と思われがちである。ビートルズの全盛時には、楽器を購入希望する手紙が「イギリス、リバプール、リッケンバッカー社様」宛に多く届いたと言う。


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