リチャード・マークス
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この項目では、シンガーゾングライターについて説明しています。編集技師については「リチャード・マークス (編集技師)」をご覧ください。

リチャード・マークス
Richard Marx
出生名Richard Noel Marx[1]
生誕 (1963-09-16) 1963年9月16日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国 イリノイ州 ハイランドパーク
ジャンルポップ・ロックアダルト・コンテンポラリー・ミュージックソフトロック
職業シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー、俳優
担当楽器ボーカル、ギター、キーボード、オルガン、ピアノ、ベース
活動期間1980年 -
レーベルキャピトルEMI、Manhattan、Signal 21、Zanzibar、フロンティアーズ、Kobalt Label Services
共同作業者ディック・マークス、フィー・ウェイビル、マット・スキャネル、ルーサー・ヴァンドロスキース・アーバンリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド
公式サイト ⇒richardmarx.com
リチャード・マークス(2005年)

リチャード・マークス(Richard Marx、1963年9月16日 - )は、アメリカシンガーソングライター音楽プロデューサー
人物
ソロ・デビュー前

作曲家の父、ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に生まれる。19歳の頃、マークスのデモ・テープを聴いたライオネル・リッチーに認められて、ロサンゼルスに移住しアルバム『ライオネル・リッチー』(1982年)のレコーディングに参加した[2]。その後、リッチーの紹介でケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなり、さらにロジャースと共作も始め[3]、2人が共作した「クレイジー」は、1984年にロジャースの歌唱で『ビルボード』カントリー・シングル・チャート1位を獲得した[4]
デビュー・スターダムへ

1987年、アルバム『リチャード・マークス』でデビュー。デビューシングルとなった「ドント・ミーン・ナッシング」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。その後、アルバムからシングルカットされた「君を知りたい (シュドヴ・ノウン・ベター)」「エンドレス・サマー・ナイツ」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。これで完全にスターダムに乗り、セカンド・アルバム『リピート・オフェンダー』からは、「サティスファイド(2週連続)」「ライト・ヒア・ウェイティング(4週連続)」と前作を上回るビッグヒットを飛ばした。

「ライト・ヒア・ウェイティング」は、当時交際していた女優シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので[5]、自身最大のヒット曲となったことを契機にローズと結婚した(2014年に離婚)。初来日公演は1988年2月で、日本武道館での公演も行った。
転機

デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたマークスは、1991年に満を持してアルバム『ラッシュ・ストリート』を発売。第1弾シングル「瞳の誘惑 (Keep Coming Back)」はあらゆるフォーマットのシングル・レコードが準備されるほどだった。また勝ち馬に乗りたいアーティストが録音や発売記念パーティに集合した。

しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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