リチャード・ボニング
[Wikipedia|▼Menu]

ポータル クラシック音楽

リチャード・ボニング(Richard Bonynge, 1930年9月29日 - )[1]オーストラリア指揮者シドニーに生まれたボニングははじめピアノを学び、14歳でグリーグピアノ協奏曲を弾いてデビュー。ニュー・サウス・ウェールズ音楽院で学んだ後、1950年に渡英、ロンドン王立音楽院ブゾーニの弟子にあたるヘルベルト・フライアーについてピアノを学び続け、ロンドンでピアノのリサイタルを開く一方、同じオーストラリアから王立音楽院に留学していたソプラノ歌手ジョーン・サザーランドとの出会いによってオペラへの関心を深めて行く事になる。

1954年、サザーランドと結婚したボニングは指揮者への転向を決意。1962年ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団で指揮者デビューを果たした。1963年にはヴァンクーバー歌劇場でグノーの歌劇『ファウスト』を振ってオペラ・デビュー、さらにその翌年にはロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場1970年ニューヨークメトロポリタン歌劇場にデビュー、1975年から1986年にかけてはオペラ・オーストラリアの音楽監督を務めている。

以上の経歴からわかるようにボニングは主としてオペラ畑のポストを渡り歩いており、長年ベルカント・オペラの研究をしていた事もあって、この方面で忘れられていた作品の復活蘇演に尽力している。またワーグナー・ソプラノを目指してソプラノ歌手を目指したジョーン・サザーランドにコロラトゥーラに転向するよう助言したのもボニングで、ロイヤル・オペラ・ハウスが夫人サザーランドにワーグナーやリヒャルト・シュトラウス作品の役を与えようとした時、ボニングは歌劇場当局に抗議したという。自身もドイツ系のレパートリーは中心には据えていないが、モーツァルトやウィンナオペレッタには比較的熱心であり、メトロポリタンオペラのレパートリーに『メリー・ウィドー』を加えようとして拒否されたこともある。

バレエ音楽の指揮者としても有名なボニングは1975年にメトロポリタン歌劇場に帯同して初来日、1978年にもサザーランド夫人のリサイタルの伴奏指揮者として再来日している。
出典^リチャード・ボニング (Richard Bonynge) - ナクソス・ミュージック・ライブラリー


典拠管理

WorldCat

VIAF: 85101539

LCCN: ⇒n82032429

ISNI: ⇒0000 0001 1450 2261

GND: 118853163

SUDOC: 031914691

BNF: ⇒cb12304096s(データ)

MusicBrainz: 48e14658-d493-4a74-a456-4395c912344d

BNE: ⇒XX851399

IATH: ⇒w6w10n94



更新日時:2015年5月30日(土)22:27
取得日時:2018/07/18 15:36


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6824 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef