リチャード・バートン
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この項目では、20世紀イギリスの俳優について記述しています。その他の同名の人物については「リチャード・バートン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

Richard Burton
リチャード・バートン
1956年宣材写真
本名Richard Walter Jenkins Jr.
生年月日 (1925-11-10) 1925年11月10日
没年月日 (1984-08-05) 1984年8月5日(58歳没)
出生地ウェールズ
国籍 イギリス
職業俳優
配偶者シビル・ウィリアムズ(英語版) (1949?1963)
エリザベス・テイラー (1964?1974, 1975?1976)
スージー・ミラー(英語版) (1976?1982)
サリー・ヘイ(英語版) (1983-1984)
著名な家族ケイト・バートン(英語版)
主な作品
謎の佳人レイチェル
聖衣
史上最大の作戦
クレオパトラ
予期せぬ出来事
ベケット
イグアナの夜
寒い国から帰ったスパイ
バージニア・ウルフなんかこわくない
荒鷲の要塞
1000日のアン
エクソシスト2
エクウス
1984

 受賞
英国アカデミー賞
英国男優賞
1966年バージニア・ウルフなんかこわくない』『寒い国から帰ったスパイ
グラミー賞
最優秀子供向けアルバム賞
1975年星の王子さま
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1977年エクウス
新人俳優賞
1952年謎の佳人レイチェル
トニー賞
ミュージカル主演男優賞
1961年キャメロット
その他の賞

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リチャード・バートン(Richard Burton, CBE, 1925年11月10日 - 1984年8月5日)は、イギリスウェールズ出身の俳優である。イギリス映画界を代表する俳優の一人。本名はリチャード・ウォルター・バートン・ジュニア(Richard Walter Jenkins Jr.)。女優のケイト・バートン(英語版)は、最初の妻で女優のシビル・ウィリアムズ(英語版)との間に生まれた娘。
生涯

炭坑作業員の息子(13人兄弟の12番目[1])に生まれる。2歳の時に母親が死に[2]、姉夫婦に育てられる[1][3]。16歳で学校をやめて働かなければいけなくなったが、彼の教師であったフィリップ・バートンが彼を養子に取り、18歳の時には英空軍の士官候補生としてオックスフォード大学エクセターコレッジの6ヶ月間の特別コースで学ぶことが許された。1943年リヴァプールの舞台でデビューし、その後、舞台俳優として活躍。1944年から3年間、英空軍パイロットとして従軍。1949年に映画デビュー、映画で共演した女優シビル・ウィリアムズ(英語版)と結婚した。同年、クリストファー・フライ(英語版)作の『The Lady's Not For Burning』での演技が絶賛される。これがきっかけとなって1952年にはハリウッドに招かれ、『謎の佳人レイチェル』でオリヴィア・デ・ハヴィランドと共演、アカデミー助演男優賞にノミネートされる。

舞台ではオールド・ヴィク座の『ハムレット』『オセロ』やブロードウェイミュージカルキャメロット』などに主演、英米の垣根を越えて活躍、特に『キャメロット』では1961年トニー賞ミュージカル部門の俳優賞を受賞した。映画では『聖衣』『アレキサンダー大王』『北海の果て』『史上最大の作戦』などの大作や、『寒い国から帰ったスパイ』や『暗殺者のメロディ』などに出演。しかし『謎の佳人レイチェル』を初めアカデミー賞に計7回もノミネートされたものの、一度も受賞はしなかった。

1963年マーク・アントニーに扮した『クレオパトラ』で共演したクレオパトラ役のエリザベス・テイラーと恋が芽生え、スキャンダルとなった。その後ウィリアムズと離婚し、一方エディ・フィッシャーと別れたテイラーと結婚、その後は夫婦して、『予期せぬ出来事』『いそしぎ』『バージニア・ウルフなんかこわくない』『じゃじゃ馬ならし』『悪のたのしみ』『危険な航路』『夕なぎ』で共演、しかしバートンがアルコール使用障害にかかり、1973年テレビ映画『離婚』に夫婦共演中に本当に二人の離婚が取り沙汰されるようになり、ついに翌年離婚した。その後1975年10月10日に二人は再婚するが、翌年、再び離婚する。1983年のブロードウェイの舞台が二人の最後の共演となった。1966年にテイラーとの関係を綴った本を出版している。

テイラーとの離婚後は2度結婚を繰り返し、1984年ジュネーヴ郊外の自宅で脳溢血により倒れ、市内の病院に搬送されたが帰らぬ人となった。

2000年に発売されたテイラーの伝記の中で、俳優のローレンス・オリヴィエとバートンとの同性愛関係について触れられているが、バートンの遺族はその事を否定している[4]
ギャラリー

マギー・マクナマラとバートン(1955年)

ローズマリー・ハリスとバートン(1958年)

史上最大の作戦』(1962年)

寒い国から帰ったスパイ』(1965年)

左からバートン、ルシル・ボールエリザベス・テイラー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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