リチャード・ハモンド
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この項目「リチャード・ハモンド」は途中まで翻訳されたものです。(原文:w:en:Richard Hammond, 00:02, 22 May 2009)
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リチャード・マーク・ハモンド
Richard Mark Hammond
ボナムズ(英語版)チャリティオークション(2015)に参加したハモンド
生誕 (1969-12-19) 1969年12月19日(54歳)
イングランド
ウェスト・ミッドランズソリフル
出身校ハロゲート大学
職業ラジオテレビ司会者
ジャーナリスト
コラムニスト
配偶者アマンダ・エサリッジ (2002 - )
子供2人の娘
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リチャード・マーク・ハモンド(Richard Mark Hammond、1969年12月19日 - )は、イギリスウェスト・ミッドランズソリフル出身のラジオテレビ司会者

祖父はバーミンガムで自動車工場の作業員を、父は遺産相続をする司法的判断を下す職業についていた。1980年代半ばに家族でノース・ヨークシャーに転居。美術大学卒業後、ラジオ・ティーズサイド、ラジオ・ヨーク、ラジオ・カンブリア、ラジオ・リーズなどの地方ラジオ局で司会者業を始める。

務めていたラジオ局は全てBBC系列で、『トップ・ギア』もBBCの番組だが、BBC専属ではなくフリーランスの司会者である。
トップ・ギア

ジェレミー・クラークソンジェームズ・メイと共に出演しているBBCの自動車番組『トップ・ギア』の、共同司会者である。番組が新シリーズとなった2002年より出演。シリーズ番組の司会者をするのはこれが初めてであり、番組の人気が上昇するとともに無名だったハモンドは徐々に担当番組が増えていくことになる。

ハモンドという名前と低い背丈のため「ハムスター」とあだ名がつけられている。自身も気に入っているのか、オフィシャルサイトのURLは“ハムスターの檻”、運営・所属する制作プロダクションの社名は“回し車”という名前になっている。また身長をネタにからかわれることも多く、Series 12 Episode 6ではゲストとして登場したボリス・ジョンソンにも「あの小さい人(the little one)」と呼ばれた。 また Series 6 Episode 11では、風間靖幸ドリフト走行する車に同乗した企画VTRの際、欧米人よりも相対的に身長が低いとされるアジア人日本人)の風間よりもハモンドの方が低いことが如実にわかるシーンをスタジオでピックアップされ、ネタにされた。ただし身長は170cmあり、共演しているジェレミーが約195cm、ジェームズが約183 cmと共に高身長なため相対的に低く見えると述べている。

歯が白いこともよくネタにされ、漂白剤を使ったか使っていないかを番組内の一項目として取り扱うほどである。
クラッシュと復帰

2006年9月、番組内での最高速テスト企画のためにジェットエンジン搭載車『ヴァンパイア』に乗り込み、速度記録に挑んだ。1度目のトライでは時速350キロ超を記録し、2度目のトライでは、テレメトリーでの計測で時速500キロ超を達成した。

最後となる3度目のトライで、時速が464 km/h、288.3 mphに達した瞬間、フロント右側のタイヤバースト制御不能になってしまい、コースアウトの後に横転し、その後宙を舞い、回転しながら進み停止した。救急チームが現場に駆けつけたときには、車体は逆転した状態での中に埋まり、ヘルメットは地面を抉っていた。このトライの時点で、使用していたコースの撮影許可時間の刻限一時間前であり、目標とする記録に達していなかったのもあり、撮影を焦ったことも事故の一因である。

『ヴァンパイア』はF1マシンのようにドライバーが露出しており、ヘルメットは装着していたが、ハモンドは頭部に激しいダメージを受けることになった。シートベルトを切られて車体から出されたときにハモンドは意識を取り戻し、「が痛い」と言っている。

ただちにドクターヘリでリーズ医科大学付属病院に搬送されるが、重体診断された。ハモンドの回復を待つため「トップ・ギア」の新シーズンは放送延期となった。ハモンド自身がジェレミー達に「夏までには番組に戻りたい」「一切の変更はしないでほしい」「お願いだから騒がないでほしい」と語っていたと、シーズン9エピソード1にて、ジェームズとジェレミーが述べている。本来なら番組が打ち切られてもおかしくないほどの大事故だったが、打ち切りは免れている。

病院には家族、ジェレミージェームズ、番組プロデューサーのアンディが駆けつけ、「私たちは『ハムスターが帰ってくる』ことを祈っている」とジェレミーは取材に応えている。

この事故によって彼は脳障害記憶喪失うつ病感情表現に障害を負い、精神科に通っていることを明かしている。この事故後、以前に比べてやや怒りっぽくなったという。なお、脳障害は徐々に快方に向かっている。

2007年1月末にケガから回復したのちに番組に復帰し、実際の事故映像を挟みながら状況を自ら解説した[1]。事故映像を見たスタジオの観客は絶句、しばらくの後、自然に拍手が起きている。ジェレミーとジェームズは「彼はダイアナ皇太子妃になってしまった」など普段通りの際どいブラックジョークでハモンドをからかい責めたが、最後は最高速度を記録した勇気と大事故から無事に生還し番組に帰ってきたことを優しく祝福する。

この映像が含まれているシーズン9エピソード1はハモンド自身と家族の意向により、日本を含む英国外向け配給元のBBCワールドワイドが配給を停止している[2]。また本国でも再放送をしていない。一連の内容は自著『On The Edge: My Story』にて詳しく書かれている。

復帰後も事故を自分でジョークのネタにし、危険なチャレンジに参加している。
トップ・ギアからの降板

2015年3月に起きた、ジェレミーの暴力騒動が原因で、BBCから契約解除となった[3]。だが、ジェレミー、ジェームズとの関係は続き、Amazon.comと契約を結び2016年8月ごろ新番組『The Grand Tour(グランド・ツアー)』を配信することになり、そちらで再び自動車番組の司会者として復帰した。

2017年6月、リチャードはグランド・ツアーのシーズン2撮影中に再び大きな事故に見舞われた。スイスでのヒルクライムイベントに参加し、電気自動車のスーパーカー、リマック・コンセプトワン(Rimac Concept One)をドライブ中、土手の上に設けられたコースから外れて転落し、車は大破炎上し黒焦げになった。本人は膝を骨折する重傷を負い、ロケ地からスイスの病院に緊急搬送された。しかし命に別状はなく、事故に遭ったことを家族に自ら電話で知らせた。さらに、ジェレミー、ジェームズと共にホスト役を務める情報サイト「DRIVETRIVE」にも「僕は死んでないよ」と題したビデオメッセージを寄せ、入院先からファンに向けて無事を報告した[4]

ジェレミーはこの事故の様子を見て「今まで見た中で一番ひどい事故だったが、信じられないことに、そしてありがたいことにリチャードは無事だ」とTwitterで述べて無事を喜んだ。


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