リチャード・ジャッケル
Richard Jaeckel
『コマンド戦略』予告編より
本名Richard Hanley Jaeckel
生年月日 (1926-10-10) 1926年10月10日
没年月日 (1997-06-14) 1997年6月14日(70歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロングビーチ[1]
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ウッドランドヒルズ[1]
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優
活動期間1943年 - 1994年
配偶者あり[1]
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リチャード・ジャッケル(Richard Hanley Jaeckel, 1926年10月10日[2][1] - 1997年6月14日[1])は、アメリカ合衆国の俳優。リチャード・ジェッケルとも表記される[2][3]。 ニューヨーク州ロングビーチで生まれ[1]、ロサンゼルスで育つ[注釈 1]。 20世紀フォックスの郵便室で働いた際に同社の役員の目に留まり、1943年の『ガダルカナル・ダイアリー』で映画デビュー[1]。親族によればジャッケルは俳優になるつもりはなく、役員からの誘いを断り続けていたが、再三の説得を受けてスクリーンテストを受けたのだという[4]。1944年、『ミッドウェイ囮作戦』の出演後は、1948年までアメリカ海軍に勤務[1][5]。その後はロサンゼルスに戻り、俳優に復帰[1]。 主に脇役でロバート・アルドリッチ監督作品に多く出演、軍隊経験から、軍人や警察官の役が多かった。日米合作で制作された特撮映画『ガンマー第3号 宇宙大作戦』や『緯度0大作戦』にも出演した[2][3]。 ジャッケルはルエラ・パーソンズに気に入られており、彼女が彼のキャリアの後押しをしていたのだとされる[4]。 ドイツ系であり、ドイツ語の語学力が買われて『コンバット!』にドイツ兵として出演したことがある。 子供は2人おり、息子のバリーはプロゴルファーになった[4]。 人生の大半はカリフォルニア州で暮らしていたが、定期的に生まれ故郷であるニューヨークを訪れ、ニューヨークアスレチッククラブで運動をしていたとされる[4]。 1997年6月14日、悪性黒色腫との3年間の闘病の末、死去。70歳[6][7]。
人物
主な出演作品
映画
ガダルカナル・ダイアリー Guadalcanal Diary (1943)
ミッドウェイ囮作戦 Wing and a Prayer (1944)
戦場 Battleground (1949)
硫黄島の砂 Sands of Iwo Jima (1949)