リチャード・ケレンス・サザランド
Richard Kerens Sutherland
コレヒドール島に籠るマッカーサーとサザランド(右)
渾名ディック
生誕1893年11月27日
メリーランド州 ハンコック
死没 (1966-06-25) 1966年6月25日(72歳没)
ワシントンD.C.
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴1916 - 1946
最終階級
陸軍中将リスト
戦闘:
パンチョ・ビリャ遠征
第一次世界大戦
第二次世界大戦
賞罰:
殊勲十字章(2回)
陸軍殊勲章 (アメリカ合衆国)
リチャード・ケレンス・サザランド(Richard Kerens Sutherland, 1893年11月27日-1966年6月25日)は、アメリカ陸軍の軍人、最終階級は中将。
イェール大学出身で州兵から正規の将校に取り立てられ、エリートコースを進む。フィリピン時代以降はダグラス・マッカーサー陸軍元帥の参謀長として辣腕をふるい、いわゆる「バターン・ギャング」[注釈 1] の一人としてマッカーサーのフィリピン脱出(英語版)にも付き従った。しかし、自身の不倫問題でマッカーサーから敬遠されるようになり、戦争終結後の日本における占領行政にも短期間ながらかかわったものの、間もなく退役した。 リチャード・ケレンス・サザランドは1893年11月27日、メリーランド州ハンコック
生涯
第一次大戦終結まで
サザランドが州兵に入隊した1916年、メキシコ国境地帯で革命家パンチョ・ビリャが部隊を率いて越境し狼藉を働いたことに対し、アメリカはビリャ討伐のため遠征(英語版)を行う。サザランドが属したコネチカット州州兵も召集を受けて国境地帯に向かったが、その際にサザランドは陸軍少尉として任官し[2]、野戦砲部隊を率いることとなった。1917年には正規軍(英語版)歩兵部隊への編入手続きが行われ、同時に大尉に昇進[3]。アメリカの第一次世界大戦参戦後は第2歩兵師団に属して西部戦線に向かう傍ら[2]、イギリスでは戦車学校で受講した[4]。