イギリスの政治家リチャード・コブデンRichard Cobden
1863年のコブデン
生年月日1804年6月3日
出生地 イギリス・イングランド・サセックス・ミッドハースト
リチャード・コブデン(英語: Richard Cobden、1804年6月3日 - 1865年4月2日)は、イギリスの政治家、実業家。
マンチェスターの実業家として成功し、熱心な自由貿易主義者となり、ジョン・ブライトとともに反穀物法同盟の中心人物となる。1841年に庶民院議員に当選し、自由主義者の中でも急進派(英語版)の政治家となる。反穀物法運動の機運を高めて、1846年の穀物法廃止への環境作りに貢献した。その後、クリミア戦争やアロー戦争の反戦運動を行った。1860年には英仏通商条約(英語版)の締結に尽力した。
経歴
生い立ち(英語版)郊外のダンフォード(Dunford)に零落自作農ウィリアム・コブデンの第11子4男として生まれる[2][3]。
若い頃には貧困に苦しんだが、叔父の支援でヨークシャーの学校に通った。学校では友人は一人もできず、教師からは拷問され、ひたすら地理書を読み漁る日々だったという[2]。 1819年に15歳で学業を終え、叔父がロンドンで経営している倉庫業の書記に就職した。この際に経済学の本に関心を持ち、特にアダム・スミスの『諸国民の富』から大きな影響を受けた[2]。 叔父からもその知識と雄弁を評価されるようになり、書記からビジネスマンに転じた。マンチェスターやバーミンガム、時にはアイルランドにも足を運んで麻布や木綿布の注文をとった。こうした商人たちとの交渉を通じて実業家としての才能を磨いていった[4]。 1826年に叔父の倉庫業が倒産して失業したが、1828年には友人とともにマンチェスターでキャラコ染の事業を始めた。マンチェスターのフォート社の信用を得たことからその事業は成功をおさめた[4]。
叔父のもとで働く
実業家として
海外にも事業を拡げ、仕事でフランスやスイス、アメリカなどを訪問した。特にアメリカでは、アメリカ人の新進気鋭さ、精神的活力、市場の活気さに強い影響を受けたという。イギリスでは製造物が製造され、アメリカでは農産物が生産される。したがって双方の人民の交易が進めば双方に大きな繁栄があるとの確信を持つに至った[6]。
反穀物法同盟ロンドン・エクセター・ホールで開かれた反穀物法同盟の集会を描いた絵画