リチャード・ウィドマーク
Richard Widmark
本名Richard Weedt Widmark
生年月日 (1914-12-26) 1914年12月26日
没年月日 (2008-03-24) 2008年3月24日(93歳没)
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優
活動期間1938年 ? 2001年
配偶者Jean Hazlewood (1942-1997)
Susan Blanchard (1999-2008)
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リチャード・ウィドマーク(Richard Widmark、1914年12月26日 - 2008年3月24日)は、アメリカ合衆国の映画俳優。目次 1914年12月26日、ミネソタ州に生まれる。父親はスウェーデン系、母親はイングランドおよびスコットランド系[1]。レイク・フォレスト大学
1 生涯
2 エピソード
3 主な出演作品
4 脚注
5 外部リンク
生涯
敵役として大いに売り出したが、やがて悪役イメージからの脱却をはかり(愛する娘が学校などでイジめられない為に、と言われている)、やがて善玉・悪玉の両方を演じられる貴重な性格俳優としての地位を確立する。犯罪スリラー、戦争映画の他に、西部劇も得意としており、『ゴーストタウンの決斗』、『ワーロック』、『アラモ』、『シャイアン』といった名作・大作の西部劇に準主役として多数出演している。
1957年独立プロダクション「ピース・プロ」を設立。『祖国への反逆!・第5捕虜収容所』(テレビ映画)、『秘密諜報機関』などを製作し、主演も務める。1961年にはスタンリー・クレイマー監督のオールスター大作『ニュールンベルグ裁判』でアメリカ側検事役を演じ、自他ともに認める代表作となった。また、1968年に主演してヒットした映画『刑事マディガン』では、1972?73年に「NBCウェンズデー・ミステリー・ムービー」枠で放映されたテレビ版でも主演を務めた。
私生活では1942年に脚本家のジーン・ヘイズルウッドと結婚。娘のアン・ヒース・ウィドマークは大リーグの名投手だったサンディ・コーファックスと結婚している。ジーンと死別(1997年)後の1999年に、ヘンリー・フォンダの元夫人であったスーザン・ブランチャードと再婚し話題になった。また、政治的にはリベラルな人物として知られた。
2008年3月24日、コネチカット州の自宅で亡くなった。 デビュー当時のニックネームは、その風貌から“ハイエナ”と呼ばれていた。また、漫画家・手塚治虫の作品にしばしば登場する冷酷な悪役キャラクター、スカンク草井はウィドマークをモデルにしている。 東宝出身の俳優佐藤允はデビュー当時、その日本人離れしたアクの強い風貌から“和製ウィドマーク”として売り出された。 サスペンス映画『暗黒の恐怖』において、善玉の主人公を演じるウィドマークよりも怖い風貌の男を犯人役にしなければということで抜擢されたのが、これが映画デビュー作となるジャック・パランスであった。 1963年10月の『襲われた幌馬車』テレビ放映から、日本語吹き替えは大塚周夫がほぼ専属で担当していた。大塚はウィドマークに関して、日本で吹き替えが行われる前から彼の芝居を研究していたため「日本の役者の中で誰よりも彼の芝居を知っている」と誇りをもっており、上記の『襲われた幌馬車』で初めてウィドマークの吹き替えを作る際、自らをテレビ局に売り込んだという[4]。また、大塚は亡くなる直前の2015年1月12日に、自身が担当していないのは『六番目の男』だけだと発言していた[5]。 公開年邦題
エピソード
主な出演作品
原題役名備考
1947死の接吻
Kiss of Deathトミー・ユードー
1948情無用の街
The Street with No Nameアレック
廃墟の群盗
Yellow Skyデュード
1949海の男
Down to the Sea in Shipsダン・ランスフォード
1950街の野獣