リチャード・アッテンボロー
Richard Attenborough
リチャード・アッテンボロー
本名Richard Samuel Attenborough
別名義The Lord Attenborough
生年月日 (1923-08-29) 1923年8月29日
没年月日 (2014-08-24) 2014年8月24日(90歳没)
出生地 イングランド ケンブリッジ
国籍 イギリス
職業映画監督、映画プロデューサー、俳優
ジャンル映画
活動期間1942年 - 2007年
配偶者シーラ・シム(1945年 - 2014年)
主な作品
監督作品
『遠すぎた橋』(1977年)
『ガンジー』(1982年)
『コーラスライン』(1985年)
『遠い夜明け』(1987年)
『チャーリー』(1992年)
『永遠の愛に生きて』(1993年)出演作品
『大脱走』(1963年)
『砲艦サンパブロ』(1966年)
『ジュラシック・パーク』(1993年)
受賞
アカデミー賞
作品賞
1982年『ガンジー』
監督賞
1982年『ガンジー』
ベルリン国際映画祭
功労賞
アッテンボロー男爵、リチャード・サミュエル・アッテンボロー(Richard Samuel Attenborough、Baron Attenborough、CBE、1923年8月29日 - 2014年8月24日)は、イギリスの映画監督、映画プロデューサー、俳優。1982年に監督した『ガンジー』で、アカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞した。 ケンブリッジ生まれ。父親は学者[1][2]。動物学者でプロデューサーのデイビッド・アッテンボローの長兄にあたる。 王立演劇学校で学び、1942年に俳優としてデビュー。『大脱走』や『飛べ!フェニックス』などに出演し、『砲艦サンパブロ』と『ドリトル先生不思議な旅』で1966年、1967年のゴールデングローブ賞映画部門の助演男優賞を受賞した。 監督としては1982年の『ガンジー』でアカデミー監督賞、英国アカデミー賞監督賞を受賞。『遠すぎた橋』や『コーラスライン』、『遠い夜明け』、『チャーリー』などでも知られる。 監督業に専念してからは長らく俳優業は退いていたが、93年の『ジュラシック・パーク』でパークの創設者ジョン・ハモンド役で出演して人気を集め、再び俳優業に復帰する事となる。尚『ジュラシック・パーク』の出演は後輩のスピルバーグから直々にオファーしたもので、制作時には俳優のみならず、脚本や演出の助言もスピルバーグに行っている。 教育にも関心を持っており、国際的な教育組織UWCの重要な後援者の一人でもある。UWC南アフリカ校での複数の学校施設の創設に貢献している。また映画『遠い夜明け』は、UWC南アフリカ校の影響も受けて製作されたと言われる。
来歴
1967年に大英帝国勲章を授与された。1976年にはナイトの称号を受け、1993年には一代貴族爵位「リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン特別区におけるリッチモンド・アポン・テムズのアッテンボロー男爵」(Baron Attenborough, of Richmond upon Thames in the London Borough of Richmond upon Thames)に叙され、貴族院議員に列する[3]。
1998年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。
2002年10月には、英国映画協会内に創設された「チャップリン研究財団」の初代総裁に就任している。
2004年12月26日、タイのプーケットで休暇中だった親族がインドネシア・スマトラ島大震災・大津波に遭遇した。この災害で孫娘(長女ジェーンの次女)ルーシー(当時14歳)が死亡したほか、ジェーンと義母ジェーン・ホーランドが行方不明となった。また、ジェーンの長女アリス(当時17歳)が負傷。夫のマイケル・ホーランド、長男のサムは無事とされている[4]。