リタ・ヘイワース
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リタ・ヘイワース
Rita Hayworth
1946年宣伝写真
本名マルガリータ・カルメン・カンシーノ
Margarita Carmen Cansino
生年月日 (1918-10-17) 1918年10月17日
没年月日 (1987-05-14) 1987年5月14日(68歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
配偶者Edward C. Judson (1937-1943)
オーソン・ウェルズ (1943-1948)
Prince Aly Khan (1949-1953)
ディック・ハイムズ (1953-1955)
ジェームズ・ヒル (1958-1961)
著名な家族レベッカ(娘)
ヤスミン(娘)
主な作品
いちごブロンド』(1941年)
血と砂』(1941年)
ギルダ』(1946年)
上海から来た女』(1947年)
カルメン』(1948年)
夜の豹』(1957年)
旅路』(1958年)
サーカスの世界』(1964年)
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リタ・ヘイワース(Rita Hayworth, 本名Margarita Carmen Cansino、1918年10月17日 - 1987年5月14日)は、アメリカ合衆国ニューヨークブルックリン出身の女優。1940年代にセックスシンボルとして一世を風靡した。
略歴

マルガリータ・カルメン・カンシーノとして生まれる。両親共にダンサーであり、自身も12歳から舞台に立ち、10代のはじめには週に20ステージも踊っていた[1]

1935年にFOXと契約して映画デビューしたがすぐにフリーに戻り、しばらくしてコロムビアと契約。その時にスタジオから髪を赤毛に染めるように言われた(地毛は濃い茶色)[2][3]。また、生え際に電気針で毛根の処理を施して脱毛し、額を広くする処置も行った[4]

2年の間小さな役をこなした後、1939年、ハワード・ホークス監督の『コンドル』で注目を集める。その後、ジェームズ・キャグニー主演の『いちごブロンド』やタイロン・パワーの『血と砂』、フレッド・アステアと共演した『踊る結婚式』などでスターの座を掴む。豊かな赤毛がトレードマークの彼女は、テクニカラー作品によく映えた。

彼女の魅力が最も発揮された作品は1946年の『ギルダ』である。チャールズ・ヴィダー監督のフィルム・ノワールで彼女は運命の女ギルダを演じ、セックス・シンボルとして絶大な人気を誇った。黒いドレスを着てPut the Blame on Mameを歌う場面はよく知られている。1947年には$250,000の年俸と、出演映画の収益の50%の契約をコロムビアと結んだ[5]
私生活

プライベートではオーソン・ウェルズ(2番目の夫)やアーガー・ハーン3世の息子Prince Aly Khanなどと5回の結婚歴があり、娘が2人いる。1980年代からアルツハイマーを患い、1987年に死去。68歳没。

甥は声優のリチャード・カンシーノ[6]
影響

スティーヴン・キングの小説『刑務所のリタ・ヘイワース』(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)および映画化された『ショーシャンクの空に』の中で刑務所内でこの映画『ギルダ』が上映されるシーンがあり、彼女のポスターが重要なキーとなっている。


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