リタ・グレイ
[Wikipedia|▼Menu]

リタ・グレイ
Lita Grey
リタ・グレイ(1925年ごろ)
本名リリタ・ルイーズ・マクマレイ
別名義リタ・グレイ・チャップリン
生年月日 (1908-04-15) 1908年4月15日
没年月日 (1995-12-29) 1995年12月29日(87歳没)
出生地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッド
死没地 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業女優、ヴォードヴィル歌手
ジャンル映画
活動期間1920年 - 1947年
活動内容1921年:『キッド
1924年チャップリンと結婚
1928年:チャップリンと離婚
1947年:引退
1983年:『Unknown Chaplin』
1995年:死去
配偶者チャールズ・チャップリン(1924年 - 1928年)
ヘンリー・アグリー
アーサー・デイ
パット・ロンゴ
著名な家族チャールズ・チャップリン・ジュニア(1925年 - 1968年)
シドニー・チャップリン(1926年 - 2009年)
テンプレートを表示

リタ・グレイ(Lita Grey, 1908年4月15日 - 1995年12月29日)は、アメリカ合衆国女優。12歳のときにチャールズ・チャップリンの映画に出演後、16歳でチャップリンと結婚して2子をもうけるが、結婚生活は4年で破綻した。その後はラジオやショー・ビジネスの世界でも活動した。本名はリリタ・ルイーズ・マクマレイ(Lillita Louise MacMurray)。チャップリンと結婚後は、リタ・グレイ・チャップリン(Lita Grey Chaplin)の名前で映画出演を行ったこともある。
生涯

リタ・グレイ、本名リリタ・ルイーズ・マクマレイは1908年4月15日、カリフォルニア州の、当時はロサンゼルスの一地区ではなかったハリウッドに生まれる。父はアイルランド系アメリカ人で、母はメキシコ系アメリカ人である。親類にはサンフランシスコ弁護士を行っている者もいた[1]

リリタがチャップリンと最初に出会ったのは、1921年公開のチャップリン最初の長編映画『キッド』撮影時で、リリタはチャーリーを誘惑する天使の役として出演[2]。『キッド』の撮影は1919年から行われており[3]、1920年6月9日の撮影から参加した当時、リリタは12歳であった[4]。1921年には有閑階級を皮肉った映画『のらくら』に、メイドの役で出演した[5]。このあとしばらくの間、リリタとチャップリンの間には何もなかった。チャップリンは1920年に女優ミルドレッド・ハリスと離婚したあと、1922年から1923年にかけてはポーランドの女優ポーラ・ネグリと交際しており、一時は婚約までいたったが最終的には破局した[6]。一方、リリタは「チャップリン以外の人物と映画の仕事はしない」と決め、ダンスと演技、ビジネスの勉強に励んでいた[7]

1923年から1924年にかけ、チャップリンは新作、のちに『黄金狂時代』となる映画の製作にとりかかろうとしていたが、主演女優については、長年ヒロインを務めていたエドナ・パーヴァイアンスが肥満気味であったことやトラブルに巻き込まれていたこと、チャップリン自身がパーヴァイアンスに距離を置きはじめていたこともあって人選から外れる[8]。パーヴァイアンスの代わりを探さなければならなかったが、その話をリリタがいかなる経緯からか嗅ぎ付け、友人で、のちに『サーカス』(1928年)のヒロインとなるマーナ・ケネディと一緒にチャップリン撮影所に売り込みをかけた[9]。リリタは自分にチャップリンの注意が向くような行動を繰り返す一方で、何度もカメラテストを受けるが、周囲の評判は芳しくなかった[10]。しかし、リリタの売り込みの甲斐があったのかチャップリンはリリタをヒロインのジョージア役にする決心をして1924年3月2日に契約し、この際にリリタは芸名を「リタ・グレイ」とすることとなった[11]。チャップリンの側近は「19歳の新進女優リタ・グレイ」[注 1]を売り込むため、さまざまな美辞麗句を並べ立てた宣伝をする羽目となった[13]

グレイの最初の撮影は3月22日に行われ、野外ロケにも同行した[14]。ところが半年後の9月末、ハリスとの最初の結婚と同じような驚くべきことがチャップリンに知らされる。グレイが妊娠したことを告げられたのである[1]。ハリスのときとほぼ同じ筋書きであるが、ただ一つ異なっていたのは、ハリスが狂言妊娠だったのに対し[15]、グレイは本当の妊娠だったことである。マクマレイ家は憤激し、祖父は散弾銃を持ち出すほど怒った[1]。また、当時のカリフォルニア州州法では未成年女性と関係を持つと強姦罪に認定されて最高30年の刑となっていたため、マクマレイ家はこれをダシにしてチャップリンにグレイとの結婚を迫った[1]。窮したチャップリンはグレイとその母親とともに、表向きは『黄金狂時代』のロケということでメキシコソノラ州グアイマスに向かい、隣町のエンパルメ(英語版)で11月25日に挙式をした[16]。グレイの妊娠発覚を機に『黄金狂時代』の撮影はストップしていたが、グレイは「家庭に入る」という筋書きにより『黄金狂時代』を降板し、ヒロインのジョージア役はジョージア・ヘイルに差し替えられた[17]。妊娠のことは、メディアには知られていなかった[18]

1925年5月5日、グレイは男児を出産。チャールズ・チャップリン・ジュニアである。しかし、挙式後半年も経っていないことがメディアに「餌」を与えると判断され、公的な誕生日は『黄金狂時代』のプレミアの2日後である1925年6月28日ということになった[19]。1926年3月30日には、のちに俳優になったシドニー・チャップリンが誕生する[20]。もっとも、2子が誕生したとはいえ結婚生活の改善にまではいたらなかった。表向きは平静を装っていたが[21]、チャップリンは結婚するとグレイから逃げるように撮影に精を出し[17]、グレイは自分が「チャップリンに気に入ってもらえない」と思い込んで、チャップリンと共演した女優に嫉妬したりしたほか、パーティーを何度も開くなど派手な生活を繰り返した[22]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef