リスボン攻防戦
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リスボン包囲戦
ポルトガルの
レコンキスタ
および第2回十字軍

リスボン征服 作:en:Alfredo Roque Gameiro (1917年)

1147年7月1日 - 10月25日
場所リスボン
結果ポルトガル、十字軍の勝利

衝突した勢力
ポルトガル王国
十字軍バダホス王国
指揮官
アフォンソ1世他不明
戦力

総計

20,000


ポルトガル:

7,000

十字軍:


イングランド人6,000

ドイツ人5,000

フラマン人2,000[1]

総計

15,000以下











レコンキスタ

8世紀


コバドンガ

第一次ロンスヴォー

ブルビア川

ルトス

ラス・バビアス

リオ・キロス

リオ・ナロン

オビエド

9世紀


パンコルボ

第二次ロンスヴォー

クラビホ

アルベルダ

グアダラセテ

モンテ・ラトゥルセ

モルクエラ

ポルボラリア

第一次セリョリゴ

第二次セリョリゴ

バルセロナ

10世紀


サモラの日

パジャリス・リバゴルサ

第一次サン・エステバン・デ・ゴルマス

第二次サン・エステバン・デ・ゴルマス

バル・デ・フンケラ

アルハンディク

シマンカス

エステルクエル

トレビセンテ

ルエダ

11世紀


セルベラ

カラタニャソル

トラ

アルベサ

アクバト・アル=バクル

グラウス

バルバストロ

パテルナ

リャンタダ

ゴルペイエラ

カブラ

ピエドラ・ピサダ

モレリャ

サグラハス

トゥデラ

テバル

アルコラス

バイレン

コンスエグラ

第一次トレド

第二次トレド

第三次トレド

第四次トレド

12世紀


モリェルッサ

ウクレス

ノルウェー人の襲撃

第五次トレド

タラベラ・デ・ラ・レイナ

第一次バレアレス諸島

サラゴサ

カンデスピナ

第一次サンタレン

第二次バレアレス諸島

マルトレイ

クタンダ

アルニソル

フラガ

第一次コリア

オウリケ

オレハ

第二次コリア

第一次モンティエル

アルメリア

アル=ルディディ

第二次サンタレン

サカベン

リスボン

トゥルトーザ

第三次サンタレン

第一次シルヴェス

アラルコス

13世紀


アル=ダームース

ラス・ナバス・デ・トロサ

第一次ハエン

マヨルカ島

ポルトピ

第二次ハエン

第一次ヘレス

ボリアナ

コルドバ

エルプイグ

第三次ハエン

第二次セビーリャ

第一次ヘレス

ムデハルの反乱

ムルシア

エシハ

マルトス

第一次アルヘシラス

第二次アルヘシラス

モクリン

イズナジョス

14世紀


第一次ジブラルタル

第三次アルヘシラス

アルメリア

第二次ジブラルタル

ベガ・デ・グラナダ

羊飼い十字軍

テバ

第四次ジブラルタル

ベガ・デ・パガナ

リオ・サラド

エステポナ

第四次アルヘシラス

第五次ジブラルタル

リヌエサ

グアディクス

第二次モンティエル

第五次アルヘシラス

15世紀


コレハレス

第六次ジブラルタル

ライゲルエラ

第七次ジブラルタル

ロス・アルポルコネス

第八次ジブラルタル

第九次ジブラルタル

グラナダ戦争

ルセナ

マラガ


レコンキスタ後の反乱


第一次アルプハラス

第二次アルプハラス

北アフリカ


サレ

第一次セウタ

第二次セウタ

第一次タンジール

アシラー

第二次タンジール


リスボン攻防戦(リスボンこうぼうせん、: Cerco de Lisboa)は、1147年7月1日から10月25日にかけ、イベリア半島リスボンの支配権をめぐって行われた攻城戦である。この戦いによってリスボンはポルトガルの統治下におかれ、ムーア人の勢力下から奪回された。

リスボン攻防戦は失敗に終わった第2回十字軍の数少ないキリスト教徒側の勝利の一つであり、レコンキスタの中でもとりわけ重要な戦いと見なされる[2]
第二回十字軍詳細は「第2回十字軍」を参照

伝統的には、レコンキスタの開始は722年のコバドンガの戦いにおけるイスラム側の敗北だとみなされている[3]。 1095年から1099年の第1回十字軍のあと、教皇パスカリス2世はイベリア十字軍(ポルトガル、カスティーリャ王国レオン王国アラゴン王国、その他)に対して、故国に留まって彼ら自身の戦いを続けることが、エルサレムへの十字軍遠征と同じ価値を持つと訴えた[4]

1142年、ポルトガル王アフォンソ1世は、北方からの十字軍兵士(アングロ=ノルマン勢)の聖地への経由地である利点を生かし、彼らを動かしてリスボン市を攻撃・占領しようとした。この企ては結局は失敗して十字軍参加者の中に混乱を残したが、王は将来の攻勢で彼らを活用できる可能性を見出した。[5]

1144年のエデッサの陥落(英語版)は教皇エウゲニウス3世による新たな十字軍の呼びかけ(1145年 - 1146年)を引き起こした。1147年の春、教皇はイベリア半島で行われている「何百年間も続いているムーア人に対する戦い」もまた十字軍であると認めた[6]。教皇はマルセイユピサ共和国ジェノヴァ共和国、その他の地中海沿岸都市に対してイベリアで戦うことを推奨した。


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