リジェ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、フランスの自動車メーカー、かつて存在したF1チームについて説明しています。フランスのレーシングカーコンストラクターについては「リジェ・オートモーティブ」をご覧ください。

リジェ
Ligier Group
種類株式会社
本社所在地 フランス
アリエ県アブレスト
設立1969年
業種自動車メーカー
代表者フランソワ・リジェ
関係する人物ギ・リジェ(創業者)
外部リンクLiGiER.FR
テンプレートを表示

リジェ(LiGiER)は、フランスの自動車メーカー。創業者はギ・リジェ1976年から1996年までレーシングコンストラクター「エキープ・リジェ」(Equipe Ligier)としてF1にも参戦した。提携ブランドに「リジェ・オートモーティブ」がある。
概要
初期JS2

フランス人で国際代表ラガーマンであり、レーシングドライバーだったギ・リジェをオーナー兼チーム監督として創設されたチーム・自動車メーカー。リジェの自動車製造プロジェクトは1969年開始に向けて立ち上げられ、SERA-CDにいたエンジニアのミッシェル・テツが、友人のジョー・シュレッサーと共にリジェチームに実質的なチーム創設メンバーとして加わることが決まった[1]。テツとギ・リジェは出身地も近かった。しかし、シュレッサーはホンダ・RA302でスポット参戦した1968年7月のF1フランスグランプリの事故により他界。以後、リジェで造られるマシンには彼のイニシャル『JS』が付けられることとなった。リジェはまだとても小さいチームだったが、イギリス人エンジニアのドン・フォスターなど情熱がある者が集まっていた。リジェはテツに研究、製図設計、風洞、各サプライヤーとの交渉などすべての管理を任せ、テツが書いた設計図を元にフォスターが素材を求め、立体化していった。F2や、スポーツカーレースに参戦するためのJS1が完成。F2用の小型4気筒フォード・FVAエンジンを搭載したJS1は、1969年10月のパリ・モーターショーで発表された[2]。テツはリジェでの働きをアルファロメオに認められ、1972年半ばにリジェを巣立ち、アルファロメオのレース部門「アウトデルタ」へと移籍して行った。

リジェは、1971年から1975年にかけて、JS1から派生したGTカーの「JS2」を製作、ル・マン24時間レース参戦を念頭に製作された2人乗り仕様車の「JS3」と次々と発表し、1973年1974年1975年ル・マン24時間レースに出場した。
F1

リジェエントリー名エキープ・リジェ
チーム国籍
フランス
チーム本拠地 フランス ヴィシー (1976 - 1988)
フランス マニクール (1989 - 1996)
主なチーム関係者 ギ・リジェ
ジェラール・ドゥカルージュ
シリル・ド・ルーブル
フラビオ・ブリアトーレ
トム・ウォーキンショー
主なドライバー ジャック・ラフィット
パトリック・デパイユ
ジャッキー・イクス
ディディエ・ピローニ
エディ・チーバー
アンドレア・デ・チェザリス
ルネ・アルヌー
ステファン・ヨハンソン
ティエリー・ブーツェン
マーティン・ブランドル
マーク・ブランデル
オリビエ・パニス
鈴木亜久里
撤退後プロスト・ゴロワーズ・ブロンド (1997 - 2001)
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度1976 - 1996
出走回数326
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数9
通算獲得ポイント388
表彰台(3位以内)回数50
ポールポジション9
ファステストラップ10
F1デビュー戦1976年ブラジルGP
初勝利1977年スウェーデンGP
最後のレース1996年日本GP
テンプレートを表示

1976年からF1に参戦。当初はベテランのジャン・ピエール・ベルトワーズを起用する予定であったが、テストで、ジャック・ラフィットがベルトワーズを大きく上回るタイムで走ったことから、ラフィットをドライバーに据え、1カーエントリー体制で参戦初年度を迎えた

ギ・リジェは1981年から1995年までフランス大統領を務めたフランソワ・ミッテランと親交が深く(彼らの子供同士が結婚するほどで、親戚でもある)、オールフランスチームを標榜することでロトくじ(フランス宝くじ公団)(1992年からは「ロト・スポルティフ」)やジタンマトラなどの国営企業からのスポンサーを獲得し、ルノーエンジンを得ることに成功する。

また後に、フランスグランプリの開催サーキットをポール・リカールからリジェのファクトリーのあるマニクール1991年より変更させるなど政治力も強く発揮した。しかし潤沢な資金力と政治力を持ちながらマシン開発で失敗も多く、1986年までは表彰台を度々獲得し上位を走行したが、1987年以降は下位に沈み苦戦が多かった。
1970年代
1976年

デビューマシンとなったJS5は、巨大なインダクションポッドを備えたマシンで「ティーポット」と揶揄された。その後、安全面で問題とされ、レギュレーションによって車高に制限がかけられ、インダクションポッドは縮小された。
1977年

JS5のシャシーを踏襲し空力を刷新したニューマシンJS7を開幕戦から投入。JS7はウイングやノーズ形状がフェラーリ・312T2に似ていたため、「ブルー・フェラーリ」と揶揄されたが、第8戦スウェーデンGPでラフィットのドライブによりF1初優勝を果たした。
1978年

シーズン前半は昨年型のJS7及び改良型であるJS7/9を使用し、第7戦スペインGPより新型のJS9を投入。この年は優勝はなかったものの、スペインGPでは3位、第11戦ドイツGPでも3位に入賞し、コンストラクターズランキング6位でシーズンを終えた。
1979年
チーム歴代最多勝のグラウンド・エフェクト・カーのリジェ・JS11

参戦以来ラフィットの1台体制だったチームにパトリック・デパイユが加入し、2台エントリーとなる。またエンジンをマトラV12からDFVに変更し、グラウンド・エフェクト・カーのニューマシン・JS11は非常に高い戦闘力を発揮した。開幕2連勝を飾るなどこの年3勝(ラフィット2勝、デパイユ1勝)を挙げ、コンストラクターズランキングは3位を獲得。デパイユが怪我で離脱したシーズン後半はジャッキー・イクスがドライブした。
1980年代
1980年

成功作であったJS11の改良型であるJS11/15を投入、これが功を奏して前年の好調を保ち、新たに加入したディディエ・ピローニとラフィットがそれぞれ1勝ずつを挙げた。最終的にコンストラクターズランキングは前年の3位から2位に上昇した。
1981年

タルボとの提携開始[3]に伴い、エンジンをDFVからマトラV12エンジン(「マトラソプラノ」と言わしめるほど、そのエンジン音は賞賛されていた)に戻す。新車JS17でラフィットが2勝を挙げてランキング4位。しかし、この年を最後にチームの成績は低下していく。
1982年

シーズン当初は前年のマシンであるJS17及び改良型のJS17Bを使用し、第6戦モナコGPよりJS19を投入する。しかし期待の新マシンは信頼性が低くリタイアを繰り返し、遂に1勝も出来ずにコンストラクターズランキング8位に終わった。F1参戦開始から在籍していたラフィットはこの年をもってチームを去った。
1983年

マトラ(タルボ)の撤退により再びDFVエンジンを使用。フラットボトム規定に伴い各チームがデザインに試行錯誤している中、JS21というサイドポンツーンがほとんどないマシンを投入。これは冷却系パーツをリアタイヤ周辺に集中配置し荷重を増やすことでトラクションを得ようという意図があった。当時の同様のコンセプトのマシンとして、ドライバーズチャンピオンを獲得したブラバムBT52が挙げられる。またサスペンションにはシトロエンハイドロニューマチックシステムを搭載するなど、非常に意欲的なマシンであったが、成果はまったく上がらずにF1参戦以来初となる年間ノーポイントに終わった。
1984年
ルノーと初タッグを組んだターボエンジン搭載の JS23

ルノーV6ターボエンジンの獲得に成功する。しかし、JS23はエンジントラブル続きでリタイアが非常に多く、同年のルノーワークスチーム同様に芳しい成績を獲得することはできなかった。この年加入したアンドレア・デ・チェザリス南アフリカGPで5位、サンマリノGPで6位に入りポイントを獲得するなど健闘をみせた。

シーズン終了後の同年末、ルノー・ワークスF1チームのマネージャーであるジェラール・ラルースがリジェへの移籍を決め、ラルースと共にルノーに在籍していたミッシェル・テツも13年ぶりにリジェに復帰することになった[4]
1985年

シーズン当初、スポンサーを獲得することができず苦しい開幕となった(ラフィットがウィリアムズより復帰し、イタリアの家電メーカー・Candyがスポンサーに付き、後半はジタンも戻ってきた)。新車JS25は、ミシュランの撤退に伴いピレリへタイヤを変更している。前年から所属し、時に速さを見せるが"壊し屋"の異名を持つデ・チェザリスのクラッシュが多く、第10戦オーストリアGPでの大クラッシュ(マシンがコース外の丘で横回転にて数回ころがり着地、デ・チェザリスは無傷でマシンは全損)が原因で次戦のオランダGPを最後に解雇、以降フィリップ・ストレイフが代わりに出場することになる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:109 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef