リゴレット
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リゴレット
Rigoletto
リゴレットの初演ポスター。
作曲ジュゼッペ・ヴェルディ
原作ヴィクトル・ユーゴーの戯曲『王は愉しむ(フランス語版、英語版)』Le Roi s'amuse
台本フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
言語イタリア語
演奏時間約2時間
初演1851年3月11日ヴェネツィアフェニーチェ座にて、作曲者自身の指揮による。
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『リゴレット』(原語曲名:Rigoletto)は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全3幕からなるオペラである。1851年ヴェネツィアフェニーチェ座で初演された。ヴェルディ中期の傑作とされる。
作曲の経緯

ヴェルディヴェネツィアフェニーチェ座のために新作オペラを作曲するという契約を1850年4月に同劇場と結んだ。初演は翌年1851年カーニヴァルの時季とされたので、残された期日はほぼ10か月。当時の一般的なオペラ作曲システムに従い、彼のパートナーとなるのは依頼主フェニーチェ座の座付台本作家フランチェスコ・マリア・ピアーヴェである。

当初、ヴェルディもピアーヴェも新作の題材に関して特定の目論見があったわけではなく、大デュマの『キーン』Kean(1836年)なども候補として真剣に検討がなされたようだが、同月28日のヴェルディ発ピアーヴェ宛の書簡で、彼は初めてヴィクトル・ユーゴー作『王は愉しむ(フランス語版、英語版)』Le Roi s'amuseに言及し、ピアーヴェに即座に戯曲を入手し、同時に市当局の有力者にオペラ化に問題がないかどうか打診するように指令している。ヴェルディは、同戯曲の主人公である道化師トリブレ(Triboulet)を「全ての劇場、全ての時代が望みうる最高の登場人物」とまで高く評価していた。

ヴェルディが『王は愉しむ』に問題がないかどうかの感触を探れ、とピアーヴェに命令したのには理由があった。この戯曲は1832年11月22日パリのフランセ座で初演されたのだが、好悪の評が渦巻く中、早くも翌日には上演禁止となった。フランス国王・フランソワ1世の尽くした享楽と、それに対する貴族サン=ヴァリエの呪い、そしてその呪いは不具で毒舌の道化師トリブレとその娘に降りかかる、という内容は7月王政下のフランスにとってあまりに衝撃的過ぎたのだった(パリでの再演は1882年になりようやく可能となる)。当時フランスでは出版の自由は保障されていたからユーゴーのこの戯曲も(上演禁止の経緯と、それに対する抗議文を「前文」として挿入して)出版はなされ、オーストリア帝国統治下のヴェネツィアでもそれは入手可能だったが、現段階で上演禁止リストに載っている戯曲がオペラにできるだろうか、とのヴェルディの懸念はもっともなものだった。

この段階ではピアーヴェは有力者の誰かから何らかの好感触を得たものとみえ、1850年6月には2人は戯曲をどのようにオペラ化していくかの相談を行っている。ヴェルディの希望はユーゴーの原作にできるだけ忠実に従うというもので、ピアーヴェはその通りに作業を進めている。ただし彼らも『王は愉しむ』という刺激的な題名は許可されないだろうと考えていたようで、タイトルは『サン=ヴァリエの呪い』La Maledizione di Saint-Vallierあるいはもっと単純に『呪い』が有力候補となり、主人公の道化師は原作でのトリブレのイタリア語トゥリボレット(Triboletto)となっていた。

ところが8月になり、ちょうどヴェルディがピアーヴェをブッセートの自宅に招いて集中作業を行っている頃に前途に暗雲が垂れ込めてきた。フェニーチェ座の支配人マルザーリが、『呪い』に関する懸念を知らせてきたのだ。この時ヴェルディはピアーヴェをすぐにヴェネツィアに返し、政治工作を続けるよう指示している。11月にはいよいよ市の公安当局が、台本のコピーを提出すべし、との公式要請を行ってきた。10月にほぼ完成していた台本のコピーはすぐに当局に送付されたが、上演許可証は発行されなかった。それどころか12月にはヴェネツィア総督は公式の上演禁止通達を発行、『呪い』のこのままの形での上演の可能性は完全に潰えた。

ピアーヴェは、国王フランソワ1世をその時代の単なる一貴族に変更する、トゥリボレットを不具者としない、などいくつかの改変を施した別稿『ヴァンドーム公爵』Il Duca di Vendomeを作成、それがヴェネツィアの検閲当局を満足させることを確認の上ブッセートのヴェルディに送付した。しかし今度はヴェルディが納得しなかった。彼は、好色な君主が放恣の限りを尽くすこと、道化師に醜悪な外見と誇り高い内面の二面性があること、に価値を見出していたからである。ヴェルディの返答を受けて、ピアーヴェ、マルザーリらは改めて精力的に当局と折衝し、「物語の場所と時代を変更すること」を唯一の許可条件とするまでの譲歩を引き出した。

このようにして、1850年12月30日、ヴェルディ、ピアーヴェとフェニーチェ座は「改変についての覚書」に署名した。その内容は以下の6項目である;
物語の設定は、王政下のフランスでなく、独立領主支配下のブルゴーニュあるいはノルマンディー、さもなければイタリアの適切な独立領主の小国とすること

ユーゴー原作『王は愉しむ』の主要登場人物の外見と性格は維持されるが、名前は変更する

貞操を守ろうと部屋に逃げ込んだ娘ブランシュを追うフランソワ王が、部屋の合鍵をポケットから取り出して笑う、という場面は削除する

王(ないしは、1で改変された場所次第では領主)は、娼婦の誘いに応じて居酒屋に入るのではなく、おびき出されるとする

殺し屋から袋詰め死体を受け取る場面はそのまま用いてよろしい

これらの改変に日時を要することを考慮して、作品初演は1851年2月28日以降に延期する

ヴェルディはこの覚書の条件に従って必要な改変を進めた。作曲がかなり進捗していたこともあり、主人公トゥリボレットは、それとよく似た語感のリゴレット(Rigoletto)に変更された(この名前の初出は1851年1月14日のヴェルディの書簡である)。

ヴェルディは1851年2月19日、ブッセートの自宅からヴェネツィアに到着、稽古の合間を縫っていくつかのオーケストレーションの仕上げがなされ、3月11日の初演を迎えた。そしてそれは、少なくとも20回の再演を伴う大成功だった。
舞台構成

全3幕。演出によっては場所が異なる2場に分かれている第1幕をそれぞれ独立した幕に分け、4幕仕立てで上演される場合もある。アルトゥーロ・トスカニーニなどのライヴ盤で『歌劇「リゴレット」第4幕』などと表記してあるのは、それに由来する表記であり、本来は3幕仕立てのオペラとはいえ間違いとは言い切れない。

前奏曲

第1幕

第1場 マントヴァ公爵邸の大広間

第2場 街外れの物寂しい一角


第2幕 公爵邸の広間

第3幕 ミンチョ河畔

編成
主な登場人物エンリコ・カルーソーが扮するマントヴァ公爵

マントヴァ公爵(テノール) - Mantovaの綴りは、イタリアの都市マントヴァに同じ。(後述「#備考」欄参照)

リゴレット - 公爵に仕えるせむしの道化師(バリトン)。Rigolettoは「輪になった踊り」、「群衆の輪」などの意味[1]

ジルダ - リゴレットの娘、16歳(ソプラノ)。Gildaの綴りはギルド(Gilda)に同じ。人名としてはHermenegild(女性形:Hermenegila)や[2]古高ドイツ語 gelt に起源がある[3]

スパラフチーレ - ブルゴーニュ生まれの殺し屋(バス)。その名前Sparafucileの意味は、「銃を撃て」(Spara = 動詞「撃つ / 撃て」、fucile = 名詞「銃」)[注 1]

マッダレーナ - スパラフチーレの妹(メゾソプラノ / アルト)。Maddalenaは、マグダラのマリアと同じくMagdala(マグダラ)の語形変化。売春婦を装い[4]、兄による公爵殺しの手助けに加わり公爵を罠にはめる[5]

チェプラーノ伯爵(バリトン)

チェプラーノ伯爵夫人(メゾソプラノ)

モンテローネ伯爵(バス)

マルッロ、公爵の廷臣(バリトン)

マッテオ・ボルサ、公爵の廷臣(テノール)

マントヴァ公爵夫人の小姓(メゾソプラノ)

合唱

楽器構成

フルート - 2(うち1つはピッコロ持ち替え)

オーボエ - 2(うち1つはコーラングレ持ち替え)

クラリネット - 2

ファゴット - 2

ホルン - 4

トランペット - 3


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