株式会社リクルートホールディングス
Recruit Holdings Co., Ltd.
本社が入居するグラントウキョウサウスタワー
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 6098
株式会社リクルートホールディングス(英: Recruit Holdings Co.,Ltd.)は、東京都千代田区丸の内に本社を置く、求人広告、人材紹介、人材派遣、販売促進、ITソリューションなどのサービスを手掛けるリクルートグループの持株会社である。海外売上高比率は55.5%[6]。日経平均株価およびTOPIX Core30、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[7][8][9]。本記事では(企業グループとしての)リクルートグループ全般、ならびにその沿革についても説明する。 東京大学在学中の江副浩正によって創立された。主に人材派遣、販促メディア、人材メディア、ITソリューションを提供している。近年はITを駆使した事業分野に大幅に注力している[10]。社員全員が参加できる新事業コンペを導入し、自由に事業を起こすことができる社風であるという。出版する情報誌からフリーター、就職氷河期、ガテン系などの流行語が生まれている。社員には独立して起業する人間が多く[11][12][13]、大手企業にも関わらず定年まで勤め上げる人は少ないと言われている[14][15][16]。 1988年の、戦後最大級の疑獄事件ともいわれたリクルート事件の後、会社としての信用失墜と共に、バブル景気の崩壊に伴い、マンション・不動産事業の子会社リクルートコスモスや、金融子会社のファーストファイナンスなどの不良資産問題が顕在化した。グループ全体が窮地に追い込まれていった。1992年6月大手スーパー・ダイエーへ保有株式が譲渡され、同社の系列下に入ったが[17]、ダイエーグループの業績悪化などにより2000年ごろに離脱している。ダイエーグループ入りの際、ダイエーは「もの言わぬ株主」に徹する代わりに負債の肩代わりはしない立場をとった[注釈 1]。このため、リクルートはダイエーより来た高木邦夫の下、バブル期の不動産やノンバンク事業の失敗で94年3月期に約1兆4000億円あった有利子負債を自力で完済した。現在はどの企業グループにも属さず、サービス業としての中立性を維持しながら事業展開をしている。 2018年4月1日には、グループ組織再編を行い、HRテクノロジー事業、メディア&ソリューション事業(現・マッチング&ソリューション事業)、人材派遣事業の3つの戦略ビジネスユニットを新たに構成するとともに、それぞれの事業統括会社を設立した(再編後のグループ体制は#リクルートグループを参照)[18]。 2021年4月1日、株式会社リクルートと事業会社7社が統合。新生株式会社リクルートとなる。
概要
沿革
1960年
3月 - 江副浩正が、東京大学の学生新聞である「東京大学新聞」の広告代理店「大学新聞広告社」として創業[17]。
10月 - 会社組織として「株式会社大学広告」を設立し、「大学ニュース」(後の「調査月報」)を創刊。
1962年 - 大学生向け就職情報誌「企業への招待」(後のリクルートブック)を創刊。
1963年
4月 - 商号を「株式会社日本リクルートメントセンター」に変更。
8月 - 事業内容の変化・拡大に伴い、組織形態の変更を目的に、株式会社日本リクルートセンターを設立。
8月 - 「リクルートメント」(後の月刊リクルート)、「就職先しらべ」を創刊。
1966年
3月 - 就職指導専門誌「プレースメント」創刊。
3月 - 貸机業の子会社である株式会社日本ビジネスセンターを設立。
1968年
3月 - 映画事業開始。
6月 - 大学生向け月刊就職情報誌「就職ジャーナル」創刊。
1969年
5月 - 教育事業部発足、教育機器「ステップコーダー」を開発・販売。
6月 - 株式会社日本リクルート映画社(現・株式会社コスモスイニシア)を設立。
1970年9月 - 「リクルート進学ブック」(後のスタディサプリ進路 進学事典)を創刊。
1971年5月 - 株式会社リクルートコンピュータプリント(後の株式会社リクルートコミュニケーションズ)を設立。
1972年
4月 - 中途採用専門誌「就職情報」創刊。
5月 - 研修および営農による収益を目的に有限会社リクルートファームを設立。
11月 - 「リクルートタイムズ」創刊。
1976年
1月 - 「住宅情報(現・SUUMO新築マンション)」創刊。
3月 - 株式会社細野高原牧場(後の有限会社安比高原牧場)を設立。
5月 - 株式会社日環サービス(後の大和ライフネクスト株式会社)を設立。
9月 - 財団法人江副育英会が発足。
1977年
2月 - 盛岡グランドホテルの経営を取得。
4月 - 金融業の子会社ファーストファイナンス株式会社を設立。
11月 - 人材斡旋事業準備室が独立し、株式会社人材情報センター(後の株式会社リクルートキャリア)を設立。
11月 - 中途採用事業部が独立し、株式会社就職情報センターを設立。
1979年2月 - 株式会社ホテルデン晴海(後の株式会社コスモスホテル開発)を設立。
1980年
2月 - 女性のための転職情報誌「とらばーゆ」を創刊。
6月 - リクルート健康保険組合を設立。
8月 - 株式会社採用企画センターを設立。
11月 - 安比総合開発株式会社(現・株式会社岩手ホテルアンドリゾート)を設立。
1982年
2月 - 技術者向け求人情報誌「ベルーフ」創刊。
4月 - 初の海外現地法人「Young Tour Europe INC」を設立。
5月 - リクルートスキーチーム発足。
10月 - 株式会社リクルートフロムエー(後の株式会社リクルートジョブズ)を設立。
11月 - アルバイト求人情報誌「FromA(フロム・エー)」(現 「フロム・エー ナビ」)創刊。
1983年
3月 - 「不動産流通物件総覧」創刊。
4月 - 映像事業部が独立し、株式会社リクルート映像(後の株式会社ジュピタービジュアルコミュニケーションズ)を設立。
7月 - 「リクルートカレッジマネジメント」創刊。
11月 - 家を建てる人、建て替える人の情報誌「ハウジング情報」(現・「HOUSING」)を創刊。
1984年
4月 - 商号を株式会社リクルートに変更。
4月 - 株式会社就職情報センターが株式会社リクルート情報出版(後にリクルートと合併)に社名変更。
4月 - 調査部が独立し、株式会社日本リクルートセンター(後の株式会社リクルートリサーチ)を設立。
7月 - 海外旅行情報誌「エイビーロード」を創刊。
10月 - 中古車売買の専門情報誌「カーセンサー」を創刊。
1985年
1月 - 「G7ギャラリー」オープン。
2月 - RECRUIT U.S.A. Incを設立。
2月 - 日本経済新聞社と共同出資で、株式会社マップデータを設立。
4月 - ヤングツアー事業部と海外事業部が統合し、株式会社リクルートインターナショナルを設立。
4月 - 社内クラブ「シーガルハウス」オープン。
9月 - 株式会社九州リクルート企画を設立。
1986年
1月 - シーガルハウスなどの経営を行う株式会社シーガルプランニングを設立。
7月 - 株式会社神戸製鋼所との合弁会社株式会社アークシステムを設立。
9月 - 株式会社リクルート情報出版を吸収合併。
12月 - 書籍出版部門が独立し、株式会社リクルート出版(後の株式会社メディアファクトリー)を設立。
1987年
1月 - 株式会社シーズスタッフ(現・株式会社リクルートスタッフィング)を設立。
7月 - リクルート厚生年金基金を設立。
7月 - RECRUIT EUROPE LTD.を設立。
9月 - リクルート国際バン株式会社を設立。
10月 - リクルートダンスクラブ発足。
1988年
1月 - 江副浩正が代表取締役会長、位田尚隆が代表取締役社長に就任。
1月 - 「就職情報」と「ベルーフ」の統合により「B-ing」を創刊。
5月 - ソフトウェア情報誌「パッケージソフト」を創刊。
6月 - 川崎市助役へのリクルートコスモス株譲渡報道(リクルート事件が発覚)
6月 - 江副浩正が会長を辞任し、相談役に就任。
12月 - 江副浩正が相談役を辞任。
1989年
5月 - グラフィックデザイン誌「クリエイション」創刊。
10月 - 人事測定事業部が独立し、株式会社人事測定研究所(現・株式会社リクルートマネジメントソリューションズ)を設立。
11月 - リクルート野球部を発足。