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トッテナム時代(1981年)
名前
本名リカルド・ジュリオ・ビジャ
Ricardo Julio Villa
愛称リッキー
Ricky
ラテン文字Ricardo Villa
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1952-08-18) 1952年8月18日(71歳)
出身地ロケ・ペレス
身長185cm
選手情報
ポジションMF
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1970-1974 キルメス 108 (20)
1973→ サン・マルティン・トゥクマン (loan) 10 (3)
1974-1976 アトレティコ・トゥクマン 51 (19)
1976-1978 ラシン・クラブ 52 (6)
1978-1983 トッテナム・ホットスパー 133 (18)
1983 フォートローダーデール・ストライカーズ 19 (3)
1984-1985 デポルティーボ・カリ 0 (0)
1986-1989 デフェンサ・イ・フスティシア 93 (4)
通算466(73)
代表歴2
1975-1978 アルゼンチン17 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年3月18日現在。
2. 2019年3月18日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
リカルド・ジュリオ・ビジャ(Ricardo Julio Villa, 1952年8月18日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州・ロケ・ペレス出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。「リッキー」の愛称で知られる。 キルメスACでキャリアをスタートさせると、アトレティコ・トゥクマンにラシン・クラブといったアルゼンチンのクラブを渡り歩き、活躍した。 1978年にトッテナム・ホットスパーFCへ同郷のオズワルド・アルディレスと共に移籍した。デビュー戦となったノッティンガム・フォレストFC戦でゴールを決めるなどすぐさまレギュラーを掴んだ。1981年のFAカップ決勝では8分に先制ゴール、76分に逆転ゴールを決め3-2での優勝に大きく貢献した。トッテナムでは公式戦通算179試合に出場し、25ゴールを決めた。 1983年、フォークランド紛争の影響もあり、トッテナムを退団。その後、アメリカ、コロンビアのクラブを経たのち、アルゼンチンのデフェンサ・イ・フスティシアに所属していた1989年に現役を引退した。 2008年2月にはアルディレスと共にトッテナム・ホットスパーFCの殿堂入りを果たした[1]。 アトレティコ・トゥクマンに所属していた1975年にサッカーアルゼンチン代表に初招集されると、1978年には1978 FIFAワールドカップの代表メンバーに選ばれた。
クラブ経歴
代表経歴