公用語スペイン語
主都バタ
最大の都市バタ
政府
大統領テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ
首相マヌエラ・ロカ・ボテイ
面積
総計26017km2(N/A)
水面積率極僅か
人口
総計(2013年)1159468人(N/A)
人口密度xxx人/km2
成立
スペイン領ギニアに編入1788年
スペイン保護領1885年
フェルナンド・ポー島と共に海外県を結成1959年7月30日‐1963年8月9日
県独自の自治権が与えられる1964年7月1日
フェルナンド・ポー県と共に赤道ギニアとして独立1968年10月12日
通貨CFAフラン(ペセタ、旧スペイン領時代)(XAF)
時間帯UTC(+1) (DST:なし)
ISO 3166-1GQ / GNQ
ccTLD.gq
国際電話番号240
リオ・ムニ (スペイン語: Rio Muni) は、赤道ギニアの大陸部地域(Continental Region)の名称で、中南部県、キエンテム県、リトラル県、ウェレンザス県を含む。 現地のンドウェ語(フランス語版)ではンビニ(Mbini)とも呼ばれる。2013年の国勢調査によると人口は1159468人。中心地はバタ。 その6割以上が熱帯雨林で覆われている。 リオ・ムニの面積はおよそ26,002km2。コリスコ島、大エロベイ島・小エロベイ島からなるエロベイ諸島もリオ・ムニに属する。面積は15km2である。リオ・ムニ、コリスコ島、エロベイ諸島を併せた総面積は26,017km2である。 リオ・ムニは1778年にエルパルド条約でポルトガルからスペインに割譲されフェルナンド・ポー島(後のビオコ島)とアンノボン島と共にスペイン領ギニアの一部となった。1885年にスペイン保護領にもなり、スペインはリオ・ムニを他の海外植民地での奴隷を集める場所にすることをもくろんだが、スペイン人の入植者は黄熱病のために死亡し、リオ・ムニからはスペイン人はほとんどいなくなった。再入植以降はカカオと木材が主な産品となった。 1900年にフランス人によりバタの都市が建設された。1926年にスペイン領ギニアはさらにリオ・ムニ、フェルナン・ド・ポー島、アンノボン島、大エロベイ島、小エロベイ島、コリスコ島および周辺の島々により形成された。スペイン領ギニア時代のリオ・ムニ県の紋章 1959年にスペイン領ギニアのリオ・ムニとフェルナンド・ポー島はリオ・ムニ県とフェルナンド・ポー県の2つのスペインの海外県
地理
歴史
1968年にリオ・ムニ県とフェルナンド・ポー県は統合したまま赤道ギニア共和国としてスペインから独立した。 しかし、独立した翌年の1969年3月から4月にリオ・ムニで深刻な政治的混乱が発生した。 コーヒーが主産物。他、豊かな木材資源。 人口のほとんどはファン族で、その他に小数のンドウェ人 リオ・ムニは4つの県と1つの行政市に分かれる。
産業
民族
行政区分
中南部県 (エヴィナヨング)
キエンテム県 (エベビイン)