リオティント
リオティントのオーストラリア本部は、オーストラリアのメルボルンにある120コリンズ・ストリート
リオティント (Rio Tinto) は、鉱業・資源分野の多国籍企業グループである。1995年に英国に本拠をおく鉱業会社 RTZ とオーストラリアの CRA が二元上場会社を形成することにより成立した。2つの会社は別個の会社として残り、オーストラリア証券取引所には改称されたRio Tinto Limitedが上場し、ロンドン証券取引所にはRio Tinto plcが上場している。しかし両社は同一の取締役会により単一の経済単位として経営され、両社の株主は同じ投票権と配当受領権をもつ。RTZ の株主は全体の 76.7% を保有し、会社は基本的にロンドンから経営される。 リオティントは南スペインにあった、ローマ帝国に銅を供給した鉱山の場所に由来する。1873年、英国ロンドンのN. M. ロスチャイルド・アンド・サンズと、仏国パリのロチルド・フレール(Rothschild Freres)がヒュー・マセソン(Matheson's Matheson and Company)他の投資者とともに赤字だったスペイン国営リオティント鉱山を買収した。新オーナーは会社をリストラクチャリングし、収益の出る事業にした。1895年にロスチャイルド・パリ家のアンリ(1872-1946)がMathilde Sophie Henriette von Weissweiller (1872-1926) と結婚した。マチルドの祖父Leopold David Weisweiller (1807-1871) は、弟ダニエル・ワイスワイラー
歴史
1929年、2500万ポンドを増資して南ローデシアの銅鉱山を買収した。参加企業は持株会社のRhokana Corporation (ロカナ・コーポレーション)に統括された。同社は南ローデシア政府に英軍用キャンプ地を提供した(en:Bwana Mkubwa#Demographics)。ロカナは三つの事業判断を下した。まず1946年に電解精錬のRhodesia Copper Refineries Ltd. を売却した。また1951年1月1日から、ロカナと売却した精錬所の本社をロンドンから南ローデシアへ移すことにした。そして1952年にローデシア・アングロ・アメリカン社(AAC)の技術を結集してRhoanglo Mine Services Ltd. を設立した。この企業はちょうど6年の間、ローデシア・セレクション・トラスト社(RST)に優越した。[3][注釈 1]
1954年の動きは外部リンクへ譲る。
1962年に(英国の)リオティント社はオーストラリアの会社コンソリデーテッド・ジンク (Consolidated Zinc) 社の過半数の株を取得し、リオティント社自体がリオティント‐ジンク・コーポレーション (Rio Tinto-Zinc Corporation: RTZ) と改名した。オーストラリアの会社はコンジンク・リオティント・オブ・オーストラリア (Conzinc Riotinto of Australia, CRA) と改名されたが、別の会社として登記され続け、オーストラリアの一般投資家による投資比率が増加し続けた。それだけ収益率が良かったのであるが、その開発規模はオーストラリアの産業構造を変えてしまうほどであった。
リオティントは1975年までに、Bougainville Copper、Rossing uranium mine、Capper Pass and Son その他数社を買収した[4]。 現在の二元上場会社の構造は1995年に形成された。 2007年7月12日、リオティントはアルミニウム世界第3位のアルキャン(カナダ)への381億ドル(約4兆6500億円)の友好的買収提案で合意。アルキャンは同年5月に同業大手で世界第2位のアルコア(アメリカ合衆国)から敵対的買収提案を受けて拒否していた。リオティントが合意に基づく株式公開買付け(TOB)でアルキャン株式の3分の2以上を取得し、リオティントの既存のアルミニウム部門(世界第7位)とアルキャンは統合して、新たなリオティントのアルミニウム部門にあたる「リオティント・アルキャン
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