リオ・ティント
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リオティント
リオティントのオーストラリア本部は、オーストラリアのメルボルンにある120コリンズ・ストリート(英語版)に置かれている。
種類株式会社
市場情報ASX: RIO
LSE: RIO
NYSE: RIO
業種金属・鉱山業
設立1873
本社ロンドン
事業地域ワールドワイド
主要人物ドミニク・バートン(英語版)(会長)
ヤコブ・スタウショーン(英語版)(CEO
製品鉄鉱石ボーキサイトアルミナアルミニウムモリブデンダイヤモンド石炭ウラン酸化チタンホウ酸塩タルク
売上高 US$63.495 billion (2021)[1]
営業利益 US$29.817 billion (2021)[1]
利益 US$22.575 billion (2021)[1]
総資産 US$102.896 billion (2021)[1]
純資産 US$51.432 billion (2021)[1]
従業員数45,000 (2022)[2]
子会社リオティント・アルキャン
ウェブサイト ⇒www.riotinto.com

リオティント (Rio Tinto) は、鉱業資源分野の多国籍企業グループである。1995年に英国に本拠をおく鉱業会社 RTZ とオーストラリアの CRA が二元上場会社を形成することにより成立した。2つの会社は別個の会社として残り、オーストラリア証券取引所には改称されたRio Tinto Limitedが上場し、ロンドン証券取引所にはRio Tinto plcが上場している。しかし両社は同一の取締役会により単一の経済単位として経営され、両社の株主は同じ投票権と配当受領権をもつ。RTZ の株主は全体の 76.7% を保有し、会社は基本的にロンドンから経営される。
歴史

リオティントは南スペインにあった、ローマ帝国を供給した鉱山の場所に由来する。1873年、英国ロンドンN. M. ロスチャイルド・アンド・サンズと、仏国パリロチルド・フレール(Rothschild Freres)がヒュー・マセソン(Matheson's Matheson and Company)他の投資者とともに赤字だったスペイン国営リオティント鉱山を買収した。新オーナーは会社をリストラクチャリングし、収益の出る事業にした。1895年ロスチャイルド・パリ家のアンリ(1872-1946)がMathilde Sophie Henriette von Weissweiller (1872-1926) と結婚した。マチルドの祖父Leopold David Weisweiller (1807-1871) は、弟ダニエル・ワイスワイラー(ドイツ語版、英語版)がロスチャイルドのパートナーであった。1905年までには、リオティントに対するロスチャイルドの出資比率が 30% を超えていた。

1929年、2500万ポンドを増資して南ローデシアの銅鉱山を買収した。参加企業は持株会社のRhokana Corporation (ロカナ・コーポレーション)に統括された。同社は南ローデシア政府に英軍用キャンプ地を提供した(en:Bwana Mkubwa#Demographics)。ロカナは三つの事業判断を下した。まず1946年に電解精錬のRhodesia Copper Refineries Ltd. を売却した。また1951年1月1日から、ロカナと売却した精錬所の本社をロンドンから南ローデシアへ移すことにした。そして1952年にローデシア・アングロ・アメリカン社(AAC)の技術を結集してRhoanglo Mine Services Ltd. を設立した。この企業はちょうど6年の間、ローデシア・セレクション・トラスト社(RST)に優越した。[3][注釈 1]

1954年の動きは外部リンクへ譲る。

1962年に(英国の)リオティント社はオーストラリアの会社コンソリデーテッド・ジンク (Consolidated Zinc) 社の過半数の株を取得し、リオティント社自体がリオティント‐ジンク・コーポレーション (Rio Tinto-Zinc Corporation: RTZ) と改名した。オーストラリアの会社はコンジンク・リオティント・オブ・オーストラリア (Conzinc Riotinto of Australia, CRA) と改名されたが、別の会社として登記され続け、オーストラリアの一般投資家による投資比率が増加し続けた。それだけ収益率が良かったのであるが、その開発規模はオーストラリアの産業構造を変えてしまうほどであった。

リオティントは1975年までに、Bougainville Copper、Rossing uranium mine、Capper Pass and Son その他数社を買収した[4]
現在

現在の二元上場会社の構造は1995年に形成された。

2007年7月12日、リオティントはアルミニウム世界第3位のアルキャンカナダ)への381億ドル(約4兆6500億円)の友好的買収提案で合意。アルキャンは同年5月に同業大手で世界第2位のアルコアアメリカ合衆国)から敵対的買収提案を受けて拒否していた。リオティントが合意に基づく株式公開買付け(TOB)でアルキャン株式の3分の2以上を取得し、リオティントの既存のアルミニウム部門(世界第7位)とアルキャンは統合して、新たなリオティントのアルミニウム部門にあたる「リオティント・アルキャン(本社:カナダモントリオール)」を形成し世界最大のアルミニウム生産企業(ボーキサイトおよびアルミニウム地金)となった。これは世界の鉱業金属業界における史上最大のM&Aである。

2008年にBHPビリトン(現:BHPグループ)がリオティントに対し敵対的買収を提案したが失敗に終わった。2009年6月にはBHPビリトンとオーストラリア西部における鉄鉱石事業を統合し、合弁事業を設立する計画で合意したが、2010年10月18日に撤回に追い込まれた。いずれも両社が鉄鉱石輸出量で2位と3位を占める巨大企業であり、統合による市場支配力が強まることが予想され、反発を招いたことが理由とされる[5][6]

2009年7月5日、リオティントの社員4人が産業スパイの容疑で中国政府に身柄を拘束される事件が発生し、その後8月12日にスパイおよび贈賄の容疑で4人が正式に逮捕されたと新華社通信が報じた[7]。中国とオーストラリアの関係はこの事件によって一気に悪化し、オーストラリア政府は8月20日に駐中国大使を召還した[8]。同年6月5日にリオティントが中国の国有企業中国アルミニウムの出資を拒否したことが原因ともされている[9]。最終的に中国アルミニウムは議決権の9.8%を保有し[10]、リオティントの筆頭株主となった[11]

2011年8月に子会社Luzenacをイメリーズに売却した[12]2014年、同業大手グレンコアがリオティントとの合併を提案したが、リオティントは翌年これを拒否した[13]
事業概要

同グループは多種の鉱産商品を以下の部門で産出する。また、ブリティッシュ・アメリカン・タバコと資本的・人的関係がある。
鉄鉱石

リオティントはハマースリー・アイアン社 (en:Hamersley Iron) を完全保有する。同社は西オーストラリア州で多くの鉄鉱山を完全に、または提携先と保有する。特記すべきは幾つかのプロジェクトでは中国の企業とも提携していることである。鉄は2003年には収入の 18%、グループ収益の 36% を占めた。同社は鉄鉱石の世界第2位の産出者である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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