リエンツィ
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年11月)

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴(プレイリスト)
Rienzi, WWV 49(全曲版)
ルネ・コロ(リエンツィ)、Siv Wennberg(イレーネ)、Nikolaus Hillebrand(ステファーノ・コロンナ)、Janis Martin(アドリアーノ)、テオ・アダム(オルジーニ)ほか、ハインリヒ・ホルライザー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団・合唱団、Warner Classics提供のYouTubeアートトラック
Wagner: Rienzi(短縮版)
Peter Bronder(リエンツィ)、Christiane Libor(イレーネ)、Falk Struckmann(ステファーノ・コロンナ)、Claudia Mahnke(アドリアーノ)、Daniel Schumutzhard(オルジーニ)ほか、セバスティアン・ヴァイグレ指揮フランクフルト歌劇場管弦楽団・合唱団、NAXOS of America提供のYouTubeアートトラック
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『リエンツィ、最後の護民官』(Rienzi, der letzte der Tribunen)WWV.49はリヒャルト・ワーグナー1840年に作曲した5幕から成るオペラ。単に『リエンツィ』と呼ばれることが多く、『リエンチ』とも表記される。エドワード・ブルワー=リットンの小説『リエンツィ、最後のローマ護民官』(Rienzi, the Last of the Roman Tribunes)を原作とし、作曲者本人の台本による。

タイトルロールのリエンツィは、14世紀のローマに実在した政治家コーラ・ディ・リエンツォ(またはリエンツィ、1313年-1354年)のことである。ワーグナーは台本を作成する際に、史実およびブルワー=リットンの原作を改変し、民衆の支持を得たリエンツィが政権を手にするものの、やがて当の民衆から反逆され彼らに殺される物語とした。
概要

ワーグナーは本作を「大悲劇オペラ」(grose tragische Oper)と呼んでおり、初期の大作として知られている。ワーグナーの作品目録(WWV)では49番目である。

初演は1842年10月20日ドレスデンゼンパー・オーパーにて行われている。これによって作曲者はドレスデンのオペラ総監督に就任した。作曲当時のワーグナーはパリで金銭的に不遇な生活を送っていたが、初演が成功したことで、本格的にオペラ作曲家としての道を歩むこととなった。

日本初演(抜粋ではない通し上演の初演)は1998年11月に藤沢市民オペラによって行われた[1][2][3]

あまりに長大であることやバイロイト音楽祭の演目にも入っていないことなどから上演頻度は低く、次作『さまよえるオランダ人』以降のワーグナー作品と比べると知名度は下回っている。ただし序曲は演奏会などでよく演奏される。アリアの聴きどころは第5幕の「リエンツィの祈り」が有名である。
作曲の経緯

1836年1837年夏とも)にケーニヒスベルクの宮廷劇場の指揮者を務めていたワーグナー(当時23歳)は、エドワード・ブルワー=リットンの小説『コーラ・ディ・リエンツィ、最後の護民官』(1835作)を読み、これに興味を持ったワーグナーはこの原作を基にしたオペラの作曲を決心する(ただし、このアイデア自体はかなり以前に友人が勧めていた模様)。

まず台本を書き上げる。執筆が遅れることもしばしばあったが、彼がリガに移住した1838年の夏頃に全体の台本を一通り完成させている。音楽はその年のうちに着手され、翌1839年4月9日に第2幕のみを書き上げた。だが多額の借金を抱えた状態の生活から脱するために、ワーグナーと妻ミンナはリガを離れ、ロンドン経由をして極秘にパリへと向かう。これにより作曲は一旦中断する。

第3幕以降の作曲は1840年2月にパリで行われた。全体の草案と序曲を10月に書き上げ、同年の11月19日に全曲を完成させる。
初演とその後

ワーグナーは完成した『リエンツィ』をパリで上演することを切望していたが、これが結果的に叶うことがなかったため、やむなくドレスデンで上演することに決める。そして同地の宮廷歌劇場の総監督リュッティヒャウに総譜を渡し、翌1841年6月に劇場側から正式に採用され、1842年10月20日ドレスデンのザクセン宮廷歌劇場でカール・ゴットリープ・ライシガーの指揮で行われ、大成功を収める。当時革命の気運が高まっていたことに影響して、聴衆から熱狂的に受け入れられたことが要因であった。これによってオペラ作曲家としての門出を華々しく飾ったのである。

なおワーグナーは、初演直前のリハーサルに参加しており、そこで熱心に指導したと伝えられる。

『リエンツィ』の初演が熱狂的な成功を収めたことによって、ドレスデンでは1873年までに100回、1908年までに200回上演されている[4]。このことから分かる通り、ワーグナーが作曲したオペラの中では最も成功した作品の一つでもあった。
原作と台本

エドワード・ブルワー=リットンの同名の小説による(1835)。これを基にワーグナーが台本を作成。

楽器編成

この形は当時ジャコモ・マイヤベーアパリで自作の5幕物オペラに使った楽器編成とほとんど同じである。巨大ではないがクライマックスが頻繁に続くため、トランペットが4管で使われている。

木管楽器:フルート2、ピッコロ(第3フルート持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、セルパン(またはコントラファゴット

金管楽器:ヴァルヴホルン2、ナチュラルホルン2、ヴァルヴトランペット2、ナチュラルトランペット2、トロンボーン3(アルト・テナー・バス各1)、オフィクレイド(現代ではテューバで代用)

打楽器:ティンパニシンバルトライアングル大太鼓小太鼓テナードラムタムタム

その他:ハープ弦五部(14型)

バンダ

舞台上:(トランペット1:ただし次の12人のトランペット隊から編成できる)、
オルガン

ブラスバンド:トランペット12、トロンボーン6、バスチューバ4、小太鼓10、中太鼓4。


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