リア王
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ベルリオーズの楽曲については「リア王 (ベルリオーズ)」をご覧ください。
1608年の『リア王』四折版の表紙.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}関連ポータルのリンク

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『リア王』(リアおう、King Lear)は、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇。5幕。1605年から1606年頃初演。シェイクスピア四大悲劇の一つ。
概要

ブリテンの老王リアは、王位を退くにあたって、3人の娘のうちで孝行な者に領地を与えると約束する。甘言を弄した長女と次女に領地を与え、素直な物言いをした三女を怒りのあまり追放してしまう。しかし、信じて頼った長女と次女に裏切られ、流浪の身となる。やがて三女の真心を知り、フランス王妃となった彼女の力を借りて2人の軍勢と戦うも敗れ、三女は処刑、狂乱と悲嘆のうちにリア王も没する。リア王に従う道化の皮肉に満ちた言葉は、現世の不条理を深く突き、四大悲劇中最も壮大な構成の作品との評もある。

『リア王』には異なる2つの版がある。1608年に「四折版」で出版された『The True Chronicle of the History of the Life and Death of King Lear and His Three Daughters(リア王と三人の娘たちの生涯と死の歴史にまつわる真実の物語)』と、より劇的な1623年の「ファースト・フォリオ」に収められた『The Tragedy of King Lear(リア王の悲劇)』である。これまでは2つの版を合成して出版するのが通例だったが、近年になって、オックスフォード版ニュー・ケンブリッジ版など、2つをそれぞれ独立した作品として出版する場合が多い[1]
材源

リア王のモデルはブリトン人の伝説の王レイアで、それに関するさまざまな文献が『リア王』の材源となっている。その中でもとくに重要なものは、史劇でも主材源として使っていたラファエル・ホリンシェッドの『年代記(Chronicles)』@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(1587年出版の第2版)[要出典]だが、これは12世紀ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に基づいている。1590年エドマンド・スペンサー作『妖精の女王』にもコーディリアという名前の登場人物が出てきて『リア王』同様殺される。

他の材源としては、ジョン・ヒギンズの『為政者の鑑 (Mirror for Magistrates)』(1574年)、ジョン・マーストンの『不満家(The Malcontent)』(1604年)、シェイクスピア外典の『ロンドンの放蕩者』(1605年)、フィリップ・シドニーの『アーケイディア』(1580年 - 1590年。グロスター伯、エドガーとエドマンドの話はここから取られている)、1603年にジョン・フロリオ(John Florio)が英訳したミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』、ウィリアム・ハリソン(William Harrison)の『An Historical Description of Iland of Britaine』、ウィリアム・キャムデンの『Remaines Concerning Britaine』(1606年)、ウィリアム・ワーナー(William Warner)の『Albion's England(アルビオンのイングランド)』(1589年)、Samuel Harsnettの『A Declaration of egregious Popish Impostures』(1603年)。エドガーが狂気を装った時に使う言い回しのいくつか)が挙げられる。

『リア王』と内容が類似した『レア王』という作者不詳の劇がある(1605年出版)。アーデン版の編者R・A・フォークスは、シェイクスピアはこの『レア王』のテキスト(上演の記憶からではなく)を材源にしたとするが[2]リヴァーサイド版の編者フランク・カーモードはその時には既にシェイクスピアは『リア王』を書き上げていたと反論している[3]1936年、A・S・ケアンクロスは、2つの劇の関係は逆である、つまり、シェイクスピアの『リア王』が先に書かれ、『レア王』の作者はそれを模倣したのだと主張した[4]。しかし、1594年の書籍出版業組合記録に『レア王』の記載があり、同年のフィリップ・ヘンスロー(Philip Henslowe)の日記にも『レア王』を1594年ローズ座で観劇したという記録が残っている[5]。しかし、この2つは綴りは違うが『リア王』のことだとする意見もある[6]。ちなみに『レア王』はめでたく終わっているが、シェイクスピアは悲劇とし、『レア王』には登場しない道化(シェイクスピアが自らの作によく登場する道化を集成させたものと言われる)やグロスター伯らに関する話がある。
創作時期

出版登録がなされたのは1607年11月26日で、1606年12月26日に宮廷で上演されたと記されている。よって、1606年末以前に書かれたと考えられる。

もし出版された『レア王』をもとにしたのであれば、1605年の下半期から1606年の間に執筆されたことになる。
上演


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